2025.04.20 01:304/20 「贖いのしるし」 三浦 遙 聖句:マタイ28:1-10 イースターおめでとうございます。イエスの復活の物語はマグダラのマリアともう1人のマリアという女性たちによって紡がれていきます。この2人は安息日が終わった週の明け方の朝早く、最も早い段階でイエスの墓を訪れていました。というのも、イエスの十字架での死とその埋葬を遠くからずっと見つめてきたのがこの女性達であったのです。女性達はイエスの死を見つ...
2025.04.13 01:304/13 「待っている」 三浦 遙 聖句:マタイ27:32-56 イエスが受けられた苦しみは私達には想像もつかないほどに痛々しいものです。イエスの十字架の物語はその生涯の意味、使命を表すもの。それは私達の罪を背負うことだけではなく、私達の痛みに共感するためでありました。イエスの受難はこの世で受けうる最も深い苦しみです。弟子達に裏切られ、群衆に蔑まれ、神にすら沈黙される。十字架とそこに至るまでの肉体的な...
2025.04.06 01:304/6 「皆の僕に」 三浦 遙 聖句:マタイ20:20-28 イエスが三度目の受難を予告された後、ゼベダイの子たちの母が、息子たちをイエスの御国で高い地位に就けてほしいと願い出ます。マルコでは本人たちが願いますが、マタイでは母を通じて願うことで、弟子たちの権威を配慮した形になっています。しかしイエスは母にではなく、弟子たち本人に向かって、自分が受ける受難の杯を飲むことができるかと問いかけます。「御...
2025.03.30 01:303/30 「礼拝後のわたし達」 三浦 遙 聖句:マタイ17:1-13 マタイ福音書では、イエスが救い主であることの根拠として、旧約聖書の引用とその成就がたびたび用いられています。その最も象徴的な出来事の一つとして、今回の場面が描かれています。イエスは、弟子の中でも中心的な存在であったペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴い、高い山に登られました。すると、イエスの姿が変わり、さらにモーセとエリヤが現れました。...
2025.03.23 01:303/23 「主イエスの道を」 三浦 遙 聖句:マタイ16:13-28 イエスはどのような苦難の道であっても、神の御心に従い真っ直ぐに進まれました。その姿に倣い、弟子たちもまた、信仰を持って後に続こうとする決意を示していきます。弟子の代表であったペトロの信仰告白の場面では、人々がイエスを洗礼者ヨハネやエリヤと見なす中で、彼は「あなたはメシアであり、生ける神の子です」とはっきりと告白しました。イエスはこの信仰...
2025.03.16 01:303/16 「内輪として」 三浦 遙 聖句:マタイ12:22-32 イエスは宣教の中で様々な教えや奇跡を行ってきました。しかし、それらを見た人によって受け止め方が違っていく様子が描かれています。イエスが目も口も不自由な人を癒された奇跡を行った時、ファリサイ派の人々は神の権威ではなく悪魔の力であると批判をしていました。加えて、その日は安息日であり、ファリサイ派の人々とはイエスを殺そうと策略していたことが1...
2025.03.08 12:003/9の主日礼拝はオンライン配信をお休みします。皆さん、こんにちは。3月9日の主日礼拝は、牧師の説教に代わり、信徒の方が奨励を行います。そのため、オンラインでのライブ配信および、動画の投稿は行いません。ぜひ会堂にて共に礼拝を守れますと幸いです。3月16日は通常通り、オンライン配信も行いますので、よろしくお願いいたします。
2025.03.02 01:303/2 「来なさい」 三浦 遙 牧師 聖句:マタイ14:22-36 イエスは洗礼者ヨハネの死後、祈るために山に登られました。その間、弟子たちは小舟で湖を渡るよう命じられましたが、逆風に阻まれ夜明けになっても進めません。この小舟は、マタイ福音書が書かれた当時の初期教会の姿とも重なります。教会が立たされた迫害や様々な課題という逆風です。そんな中、イエスが湖の上を歩いて近づくと、弟子たちは恐れます。しかし、イ...
2025.02.23 01:302/23 「謙虚であれ」 三浦 遙 牧師 聖句:マタイ15:21-28 聖書の言葉や物語は現在のわたし達から見ても理解が難しいものがあります。それは時代背景もそうですが、どうしても差別的に感じられるものが少なからずあるからです。 今回の箇所で登場する「カナンの女」はイエスらにとって異なる宗教や文化背景をもつ「異邦人」と呼ばれる人でした。物語の中で、イエスに対し「悪霊に苦しむ娘」の癒しを求めるカナンの女性。し...
2025.02.16 01:302/16 「愛するために」 三浦 遙 牧師 聖句:マタイ5:17-20 律法は旧約聖書から登場するもので、神からの教えとして大切にされてきました。しかしイエスが宣教した当時、この律法を利己的に解釈し、権威を振りかざす人々も多くおり、イエスとは度々対立していました。律法が誰かを排除するために用いられていたことに、イエスはNoを突きつけるのです。単純に、古い律法と新しいイエスの教えという対比に感じられますが、イ...
2025.02.09 01:302/9 「み声聞け」 三浦 遙 牧師 聖句:マタイ13:10-17 イエスの教えの中でも特徴的なのが「たとえ」を用いたお話です。色々なたとえ話がありますが、当時の時代背景ありきのたとえもありますので、現代のわたし達にとっては難解です。しかし日常的なものに準えて示される教えは、当時の人々にとっても聴きやすかっただろうと思います。 今回の箇所で弟子達が「なぜたとえ用いて話すのか」と尋ねていました。言い換えれ...
2025.02.02 01:302/2 「祈りの家」 三浦 遙 牧師 聖句:マタイ21:12-17 エルサレムに入城してすぐの物語に位置するこの物語は「宮清め」とも呼ばれています。印象的なのは、冒頭に描かれていた、エルサレム神殿に入った後に台や腰掛けなどをひっくり返し、客を含む商人達「皆」を追い出したイエスの姿です。ここでの商売は「礼拝に使う動物など」を遠方からきた信者に売るというもの。神殿での商売はローマ帝国の法に則る合法的な行いで...