4/20 「贖いのしるし」 三浦 遙 聖句:マタイ28:1-10
イースターおめでとうございます。イエスの復活の物語はマグダラのマリアともう1人のマリアという女性たちによって紡がれていきます。この2人は安息日が終わった週の明け方の朝早く、最も早い段階でイエスの墓を訪れていました。というのも、イエスの十字架での死とその埋葬を遠くからずっと見つめてきたのがこの女性達であったのです。女性達はイエスの死を見つめ続け、その先も仕え続けてきたのでした。
この2人は主の復活を天使から聞きます。恐れと喜びの中、他の人々へ知らせるために走り出すマリア達。そこに復活のイエスが現れ「おはよう」と声をかけるのでした。注目したいのはイエスを見たマリア達がイエスの足に縋り付く様子です。それはおそらく幽霊だから足が無いかもしれないという確認ではなく、平伏す流れによるものでしょう。しかし、その時マリア達が見たのは十字架で受けられた釘の跡であり、これまでの宣教と苦難によって出来た傷のある足であっただろうと思うのです。
復活における体の変容は福音書によって異なります。ヨハネ福音書では、弟子のトマスがイエスの体の傷を見なければ信じないと言ったように、亡くなった時の姿で復活していますが、ルカ福音書では2人の弟子が復活のイエスに出会っても、本人であると気が付かないほどに姿が変わっていたと読むことが出来ます。マタイでは、マリア達が一目でイエスであること悟りますが、その詳細は不明でした。しかし、もし傷を残したままのイエスであったならば、その足は一見痛々しい傷であったけれども、「いかに美しいことか。山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。」というイザヤの言葉を彷彿とさせるものであったのだろうと思うのです。
しかし、その傷は私達がつけた傷でもある。その罪の意識に恐れを抱くものですが、イエスは「恐れず、この知らせを告げなさい」と送り出していく。私達をも「良い知らせを告げる者」として送り出されていく恵みを大切にしていきたいと願います。
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