2024.03.31 03:003/31 イースター「わたしは主を見た」 三浦 遙 聖句:ヨハネ20:11-23 イースターおめでとうございます。このイースターは全ての人の罪と痛みとを引き受けて十字架に掛けられたイエスが復活されたことを記念する日です。最初に復活のイエスと出会ったマグダラのマリアは、「わたしは主を見た」と言ってその出来事を弟子達に伝えます。しかし弟子達は家の中に引き篭り、鍵をかけていました。それは、イエスが死に、イエスがこれまで行っ...
2024.03.30 01:30教会信徒 ~ イースターを迎えるにあたって~鳳教会は先達と皆さんの尽力があり創立67年を迎える事ができました。感謝いたします。この間、災害や世界情勢の不均衡と相まって、不安の多い状況です。少子高齢化もあり、鳳教会の教勢も減少と高齢化が語られています。「終わりの時に」「担い手不足」「タラントがない」「何か不安」「体が不調」。言えばキリがないような心配事や困りごとが続いているのかもしれ...
2024.03.24 03:003/24 「茨と紫」 三浦 遙 聖句:ヨハネ19:1-16 受難節の際、教会では紫色のものが用いられていきます。それは今回の箇所にあるように、イエスが受けられた苦しみの中に「紫色の服」を着せられる様子が描かれているからです。元々、紫色というものは大変高価なものでありました。染めるのが難しいというより、染料となる材料が貴重なものであったからです。本来ならば皇帝や王族のみがこの紫色の服を身に纏う事が...
2024.03.10 03:003/10 「香りに溢れて」 三浦 遙 聖句:ヨハネ12:1-8 イエスの受難の物語を読む時、いつも疑問に思うのはイエスがどのように自分の死や運命を受け止めていたのかということです。イエスが神の子だから死を恐れなかったというわけではなく、わたし達と同じく当たり前のように死を恐れていました。それはゲツセマネの祈りにおいても描かれています。しかし問題は、その死の先についてです。イエスは死後の復活を信じてい...
2024.03.03 03:003/3 「メシアとイエス」 三浦 遙 聖句:ヨハネ7:25-31 受難節の時を歩むわたし達。イエスは様々な苦難を受けつつ、十字架へ向かっていきます。しかし、その道中には少なからずイエスを慕い、またイエスに期待を寄せていた人々もいたことが示されています。それは弟子達だけでなく、群衆達の中にもイエスに目を向ける人々がいたのです。イエスが宣教を行う中で、イエスについてのもっぱらの疑問は「この人は何者か」とい...