11/30 「最初のロウソク」 三浦 遙 牧師  聖句:イザ51:4-11

 イザヤ書51章は、バビロン捕囚から解放され、民がシオンへ帰還しようとする時代に語られた神の言葉です。イザヤ書は、一人の預言者ではなく、分裂王国時代の第一イザヤから、捕囚末期の第二、復興期の第三イザヤへと名が受け継がれ、長い歴史の中で語り継がれました。今回の箇所は、神に背き武力に頼った結果、国を失い、七十年近く捕虜として嘆きの中にいた民に向けて語られた第二イザヤの預言です。人々は、自分たちは神に見放された、もう帰る国も希望もないと思い込んでいました。しかし神は「わたしの民よ、わたしの国よ」と呼びかけ、なお彼らをご自分のものとして受けとめておられます。この呼びかけには、関係を断たず、再び結び直そうとされる深い慰めと希望が込められています。預言者エレミヤが語ったように、神は石の板や神殿といった目に見えるしるしではなく、一人一人の心に新しい契約を書き記し、天と地が移ろうとも救いはとこしえに絶えないと約束しておられます。

 故郷への帰還には、不安や恐れも伴いました。実際、彼らを待っていたのは、他民族や異なる宗教観との共生という新たな困難でした。それでも神は「奮い立て」と語り、帰還の民が喜びの歌をうたい、悲しみが消え去る日を示しておられます。今を生きる私たちも、心身の不調や社会の不安定さの中で、将来に確かな見通しを持てずにいます。しかし、そのただ中でなお、神は迷い傷ついた私たちに手を伸ばし、「恐れるな、奮い立て、喜びは必ず備えられている」と呼びかけておられるのです。

 アドベントを迎えた今、教会のアドベントキャンドルやイルミネーション、家畜小屋の飾りを目にするとき、私たちは単なる季節の飾りではなく、暗闇にともる小さな光として来られる救い主を思い起こします。目に見える飾りを通して、目には見えない神の約束と、新しい契約が私たちの心に刻まれていることを覚えたいのです。預言のロウソクの小さな炎を見つめながら、旧約に示された神の変わらぬ恵みと、イエス・キリストにおいて成就した救いを受けとめつつ、クリスマスへと続く道のりを、互いに励まし合いながら希望をもって歩みたいと願います。

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