11/23 「心の実り」 三浦 遙 牧師  聖句:サム上16:1-13

 サムエル上16章には、神が新たな王としてダビデを選ばれる場面が描かれています。サウル王の不従順により、神は預言者サムエルを通して次の王を任命されます。しかしその選びは、人間の目には思いもよらぬものでした。サムエルでさえ、エッサイの息子たちの中で外見や体格の良い者を王にふさわしいと考えますが、神は「人は目に映るところを見るが、私は心を見る」と語られ、末の弟で羊飼いであったダビデを選ばれます。

 この選びの背後には、神がご自身の計画をどのように進めておられるかという深い意志があります。当時の人々が求めていた「力ある王」としてのサウル。しかし、人の価値基準ではなく、神の御心によって選ばれたダビデは「羊飼いのように人々を守り導く王」でした。この出来事は、主の御前でのへりくだりと誠実な心がいかに大切かを示しています。私たちもまた、外見や成果にとらわれず、神のまなざしに照らされた生き方を求めるよう招かれているのです。主は私たち一人ひとりをも、その心を見て、必要な時に立たせてくださる方なのです。

 収穫感謝礼拝を迎えるこの時、私たちは一年の恵みを思い起こしつつ、心の実りを問われます。自然の実りと同じく、信仰の歩みもすぐに結果が出るわけではありません。努力や結果ではなく、神に信頼して歩んできた日々の積み重ねが、やがて主によって報われるという約束に私たちは支えられています。羊飼いであったダビデが、神に従順であったがゆえに王として選ばれたように、私たちも日々の小さな忠実さを大切にしながら、主の時に備えて歩む者でありたいのです。

 今は見えなくとも、神はすべてを見ておられます。恵みの収穫は、主の御心に信頼し、待ち続ける中で確かに与えられるのです。神は心を見てくださる方、そして恵みの時に豊かに報いてくださるお方なのです。主のまなざしを信じ、恵みの実りを喜び合いながら、この一年の歩みを感謝して捧げてまいりましょう。

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