11/9 「祝福の延長線上」 三浦 遙 聖句:創世15:1-18a
創世記15章には、子を持たなかったアブラムに神が星の数ほどの子孫を与えると約束される場面が描かれています。年老いたアブラムにとって、それはにわかに信じがたいものでしたが、彼は神の言葉を信じたと記されています。そしてその信仰が神によって義とされ、神はアブラムと正式な契約を結ばれました。この契約は、彼とその子孫を通して祝福が広がるという神の意志の表れであり、その後のイスラエルの歴史、さらには全人類への祝福の再出発となっていきます。
注目したいのは、この「契約」は単なる取り決めではなく、神がご自身の約束を成し遂げると決意された出来事であるということです。契約の際に、アブラムは眠り、神の炎だけが儀式を行っていました。これは「この契約は人間の努力ではなく、神の側の一方的な恵みによって成り立つ」という強いメッセージです。アブラムが信じたのは、自分の能力や環境ではなく、神の語られる言葉そのものでした。アブラムも決して完璧で正しいわけではなかった。しかし、神を信じ、委ねたのです。その信仰こそが、神の民として生きる出発点となり、アブラムはやがて「信仰の父」と呼ばれるようになります。
わたしたちもまた、アブラムの信仰の系譜につながる者として、神の約束に信頼するよう招かれています。現実が困難に満ちていても、神の語られる言葉がわたしたちに希望を与え、進む力となります。神は、年老いたアブラムを用いられたように、わたしたち一人ひとりをも御業の器として用いようとされています。神は時として、思いがけないかたちでその約束を実現されるのです。
わたし自身の人生においても、父や祖母をはじめとする信仰の先達との出会い、教会での交わり、高校・大学で出会った信仰の友や恩師など、数えきれない導きがありました。そして鳳教会で共に礼拝を守る皆さんと過ごす今もまた、神との契約と、その祝福の延長線上にあると感じています。信仰を共に歩んできた人々の存在は、たとえ天に召されたとしても、今もなおわたしに信仰と希望を与えてくれます。アブラムと結ばれた神の契約は、時を越えて、わたしたちを生かし続けているのです。だからこそ、私たちもまた神の約束に応答し、与えられた信仰を次の世代へと受け繋いでいきたいものです。
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