10/5 「愛に応える」 三浦 遙  聖句:エフェ5:1-5

 エフェソ5章では「神に倣う者となり、愛の内に歩みなさい」と語られます。神の愛を受けている者として、その愛に応えるように、日々の歩みを整えていくこと、それこそが神との正しい関係を築く鍵であるという大切な教えです。キリストが私たちを愛し、献身的に生き、十字架に至るまで神に従われたように、私たちもまたその愛に倣い、愛によって歩むよう招かれています。しかしその一方で、この箇所にはみだらなことや汚れ、貪欲な言葉、愚かな話などの否定という厳しい警告が続きます。

 一見すると非常に窮屈に感じられる言葉ですが、背景には偶像礼拝が蔓延していた当時のエフェソの現実があります。エフェソの町にはアルテミス神殿があり、信仰と切り離された形だけの宗教的営みや、神殿に関わる商売も盛んでした。神から与えられた恵みを軽んじ、利益のために神を利用するような在り方への強い戒めだったのです。

 この警告は単に行動を律するだけでなく、信仰に生きる私たちが他者に対しても配慮をもって歩むよう促すものです。誰かを「相応しくない」と裁くのではなく、神に愛された者として、互いに敬意と憐れみを持って歩むべきことを丁寧に示しています。

 旧約では人が信仰を示すことで神が応えると語られましたが、新約では、神の愛が先に無条件で与えられているのです。それは、とても大きな恵みです。資本主義的な今の社会の中で、排除される人々が大勢います。しかし、聖書は一人ひとりを愛し、良い業のために用いてくださる。能力や信仰心の大小ではなく、あなただから必要なのだと示すのです。だからこそ、私たちはまず与えられた愛を信じ、それに応える生き方を模索していくのです。神に倣って生きるとは、自分の力で完璧を目指すことではなく、神の恵みに感謝し、日々の歩みに誠実であることです。その中でこそ、私たちは新しい戒めを実現していくのです。

 日々の生活の中で、ほんの小さな思いやりや感謝の言葉、誠実な行動が、神への献身の証となります。神の愛に応える者として、今日もまた、主の道を信頼して歩んでまいりましょう。神は必ずその歩みを喜んで受け止め、祝福してくださいます。

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