9/28 「まずは私から」 三浦 遙 聖句:ヤコブ2:8-13
教会の交わりは、誰に対しても分け隔てなく開かれているべきです。しかし現実には、私たちはつい人間的な価値観で人を判断し、見た目や立場によって心の距離を置いてしまうことがあります。ヤコブ2章では、そのような分け隔てに対する厳しい警告が語られています。ヤコブの手紙では「律法全体を守ったとしても、一つでも過ちを犯すなら、すべてにおいて有罪となる」と厳しい言葉を語り、隣人への差別や無関心が信仰の根幹を損なうことを警告します。そして「憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きが下る」と続け、憐れみをもって他者に向き合う姿勢こそが、自由をもたらす律法に生きる道だと述べます。
これは「自分を愛するように隣人を愛せよ」というイエスの教えの核心でもあります。創世記の族長物語に描かれるヨセフのように、自らを苦しめた兄たちを赦す姿、またマタイによる福音書におけるイエスの赦しのたとえ話も、それぞれが痛みを伴いつつ、赦しによって和解が生まれることを示していました。憐れみとは、他者の苦しみに心を寄せること。赦しとは、自分もまた神様によって赦されていると気づくところから始まるのです。
現代の教会でも「居場所がない」と感じる人が少なくありません。心を開いて迎えるつもりでも、無意識に線を引いてしまうことがあります。だからこそ、今いる人も、これから来る人も、互いに神の前に招かれた大切な隣人として、共に歩む姿勢が必要なのです。私たちもまた、完全な者ではありません。互いの弱さを受け入れ、赦し合い、共に神の前に生きる者として歩むときにこそ愛のある交わりが生まれます。主の憐れみに生かされている私たちは、その憐れみを隣人に分かち合う者となりましょう。教会はそのためにあるのです。赦しを受けた者が赦し、愛を受けた者が愛し続ける場。それが私たちに託された大切な使命です。そんな歩みを、思い描くだけではなく、まず私から、私たちの教会から取り組み、実現していくことができますように。今週も、主の愛を胸に、隣人と共に歩んでまいりましょう。主はその歩みを必ず祝福してくださいます。
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