9/7 「見捨てない」 三浦 遥  聖句:ロマ8:18-25

 パウロはローマの信徒への手紙の中で、「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りない」と記しました。この苦しみとは、単なる個人的な悩みや一時的な問題ではなく、すべての被造物が共に味わっている、深い呻きのような痛みのことです。被造物とは、神によって創造された自然界、動物、人間など、この世界に存在するすべてを含みます。それらすべてが、今なお苦しみの中に置かれながらも、神の救いと栄光が訪れる日を切に待ち望んでいると、パウロは語っています。

 当時のユダヤ教では、救いの対象は神の民とされるユダヤ人に限られていましたが、パウロはその枠組みを超え、神の恵みと救いが全人類、さらには自然界も含めた全被造物に及ぶと力強く宣言しています。この視点は、キリストによる福音が民族や文化、時代を超えて広がっていくべきものであることを示しています。そして、「共に呻く」という言葉には、他者の痛みや苦しみに寄り添い、それを自分のこととして受け止め、支え合って生きる信仰のあり方が示されています。私たちは孤立することなく、苦しみの中にある者同士がつながり、交わりの中で生きるよう招かれているのです。

 さらにパウロは、「見えるものに対する希望は希望ではありません」と語り、目に見えないものを信じ、忍耐して待ち望むことの重要性を説きます。たとえどれほど小さな希望であっても、それが心の中にあれば、人は絶望を乗り越えて前に進むことができるのです。イエス・キリストご自身が、私たちと共に呻き、苦しみ、命をもってその痛みを担ってくださいました。そして、神はすべての呻きと苦しみを見過ごされず、必ず慰めと栄光によって報いてくださる方です。だからこそ私たちは、信仰の交わりの中で互いに支え合いながら、どんな困難な時代を生きる中にあっても、希望を携えて共に歩み続けていきたいのです。

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