8/31 「〇〇家の皆さん」 三浦 遙 聖句:コロ3:18-4:1
聖書が語る「家族」のあり方を、現代の私たちはどう受け取るべきでしょうか。コロサイ書3章18節から4章1節には、「妻は主に従うように、夫に従いなさい」とも読めるような家庭内の役割に関する教えが記されています。現代社会では人権侵害とも取れる発言です。しかしこの言葉は単なる従属関係の押し付けではなく、「主にある交わり」としての新しい共同体の姿を示しています。夫婦、親子、主従という古代的な関係性の中にあっても、「互いに仕え合い、尊重する」ことが信仰の根本なのです。
現代の社会においても、家族という言葉の中に父権的な構造が根強く残っています。以前、「〇〇家」という言葉を用いない方のお話を聞きました。父権制への確固たる否定を感じられます。私たちの日常には当然のように階級的な思想が存在し、その中で虐げられている人々がいる。家族という枠組みの中、序列や役割が固定されることで、暴力や不平等が見えにくくなり、苦しむ声が押し込められる現実があります。表面的には笑い話のようでも、その背景には深い痛みが潜んでいます。
けれども、イエスは言われました。「父の御心を行う人は誰でも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」(マタイ12:50)。これは血縁を超えて、信仰に生きる者が新しい絆の中で繋がっていくことを意味しています。詩編128篇でも「主を畏れ、その道を歩む人」に注がれる祝福を歌っています。今、私たちが目指すべきは、制度としての「家族」ではなく、主にある交わりに根ざした共同体です。教会に色々な人が集う中、悪い意味で社会の縮図のようになってはならない。カウンターカルチャーとして、世に無い交わり、役割を教会が担っていくことで、世にある性別や立場にかかわらず、互いが尊重され、仕え合う場「愛ある交わり」を体現すべきです。そこには福音の力が働き、不条理や偏見を打ち砕き、傷ついた人を迎え入れる包容があります。信仰の絆に結ばれたその共同体は、キリストにある一致を証しし、神の平和の器として世界に仕えていくのです。
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