7/13 「足りないものは無い」 三浦 遙    聖句:使徒4:32-37

 使徒達の働きによって形作られた初期キリスト教会という共同体は、心も思いも一つにし、また財産を共有することで困窮者が出ないように助け合ったとあります。宣教の中では、使徒達が「大いなる力(奇跡)」によって、主の復活を証しし、その言葉に導かれた人々が共同体を形成していったのです。使徒達の働きは、イエスの教えに従うものでした。持ち物を共有するあり方は、イエスも実践しています。金持ちの青年に対して「持ち物を全て売り払って、貧しい人々に施しなさい」と語っていましたが、本来であればそのように将来が不安になるような行いは難しいもの。しかし、初期キリスト教会はそれらを実践し、民衆からは称賛を受けていたのでした。

 今回の箇所の後半には、バルナバについての伝承が記されていまいた。「慰めの子」という意味の名を持つバルナバは、使徒達の働きをサポートしていました。このバルナバは後に使徒となるパウロと出会い、宣教の業に導いていく働きを成します。復活のイエスに出会い、回心を経験したサウロ(パウロ)は、キリスト教宣教に加えてもらうよう使徒達に願い出ます。もちろん、ユダヤ人指導者として多くのキリスト者を迫害したパウロを使徒達は受け入れられませんでした。そんな時、唯一パウロを擁護したのがこのバルナバだったのです。

 持ち物を共有し、分かち合うことはキリストにおける愛の実践です。しかしそれは本来、献金や物だけではなく重荷を分かち合うという意味で示されてきたのです。バルナバはその意味を深く理解し、神様の御心に信頼し、敵対者であったパウロすらも受け入れ、担いあっていくのでした。献げ物をすることや、分かち合うことで抱く先の不安も、神様によって備えられるという信頼を持って打ち砕いていくのです。主によって、私たちには足りないものが無いほどに満たされていく。私達も喜びや感謝、重荷をも分かち合い担いあってく使命を、主への信頼を持って歩んでいきましょう。

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