3/23 「主イエスの道を」 三浦 遙 聖句:マタイ16:13-28
イエスはどのような苦難の道であっても、神の御心に従い真っ直ぐに進まれました。その姿に倣い、弟子たちもまた、信仰を持って後に続こうとする決意を示していきます。弟子の代表であったペトロの信仰告白の場面では、人々がイエスを洗礼者ヨハネやエリヤと見なす中で、彼は「あなたはメシアであり、生ける神の子です」とはっきりと告白しました。イエスはこの信仰を受け止め、ペトロを教会の礎とし、天の国への導き手としての役割を託す様子が描かれていきます。
ですがその直後、イエスの受難の予告に際してペトロは激しく反応します。イエスが権力者たちに苦しめられ、殺され、三日目に復活すると告げられた時、彼はイエスを「脇へ連れ出し」、いさめようとしました。ペトロの行動には、イエスへの思いや、他の弟子たち、群衆達を不安にさせたくないという意図があったのかもしれません。しかし、それは結果として、イエスが進まれる救いの道から引き離そうとする行為、まさに「脇へ連れ出す」行為でした。
イエスはこのペトロに対して「サタン、引き下がれ」と厳しく戒めます。なぜそこまで厳しい言葉をかけるのか。それは、このペトロの行いがイエスの受けられた受難、荒野での誘惑と同じく、神の計画に背かせようとする試みであり、悪魔の誘いがイエスに絶えず降りかかっていたことを示しているからです。そもそも弟子とは「後に続く者」であり、「脇へ連れ出す者」ではありません。イエスが受難の予告をされたのは単なる予言ではなく、神のみ心を受け止めた上で、「私について来なさい」という招きの言葉でもありました。
しかし、その道には十字架の苦しみが伴います。信仰を持つ者が世の価値観や自己中心的な思いにとらわれることは、初期キリスト教会、そして現在の教会においても避けることの難しいものです。何より、ペトロの姿からもそれは明らかです。それでもなお、イエスは私たち一人ひとりに「私について来なさい」と呼びかけ、主の道へと招き続けておられるのです。その招きに応え、主イエスの道を歩んでいきたいと願います。
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