1/19 「私達が用いられる時」 三浦 遙   聖句:マタイ4:18-25

 福音書によってイエスの弟子達の登場の様子は異なります。その中でも印象的に描かれるのが4人の漁師を弟子とする物語です。荒野で40日間誘惑を受けられたイエスは、ガリラヤにて宣教を始めます。そして、ガリラヤ湖で漁師をしていたペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの4人を弟子としました。しかし、疑問に思うのは「私について来なさい。人間をとる漁師にしよう」という言葉のみで、網や船、そして家族を捨てて従う漁師達の姿は不自然に見えるものです。見ず知らずのイエスの言葉だけで、自身の拠り所である仕事や家族を捨てて従うなんて、わたし達にとっては難しいことです。

 注目したいのは、「私に付いて来なさい。人間をとる漁師にしよう。」というイエスの言葉。この「付いていく」という言葉は「従う」や「属する」という意味の言葉です。イエスに従うことや、イエスに属するというこの言葉には、イエスの宣教にあった「悔い改めよ」という言葉の言い換えとしての意味が込められているのです。そして、悔い改めはイエスによって古きを捨て、新しい者にされることにも繋がります。この4人の漁師達は、これまでの漁師としてではなく、人間をとる漁師に変えられる約束を受け、各々の個性を活かしつつ、用いられていくのです。良い伝道者ではなく、人間をとる漁師として、あなただから出来ることを見つめ、頼ってくださるのです。

 後の病人を癒す物語においても、多くの人がイエスに従う様子が描かれています。この人々はイエスの癒しの奇跡を目の当たりにしたからこそ、弟子となっていくのですが、「病気や患い」という言葉にあるように、当時は病気と「悪霊による患い」とが別物と考えられていました。この癒しはイエスが神の使いであることが示されたこと、そして病や患いによる差別などの様々な痛みを取り払ってくださったことが示されているのです。

 四人の弟子や多くの人々がイエスに希望を抱き、従ったように、私たちも神様やイエスに希望を置き、信じて後に続いていくことが出来ますようにと祈ります。何より、私たちが用いられる時にこと応えていくことができればと願います。

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