12/22 「諸人こぞりて」 三浦 遙 聖句:ルカ2:1-20
クリスマスの物語で、疑問に思うことがあります。それは、幼子イエスが家畜小屋で産まれた経緯があまりにも理不尽すぎるということです。住民登録のため、宿が一杯であったことは想像できますが、出産間近の妊婦を突き放すことがあるのでしょうか。ここには、マリアに対する差別的な目線があったのだといわれます。夫ヨセフがマリアを受け入れる物語がありますが、そもそも周囲の人々にとってマリアは他の男性と子を成した罪人として認識されていたので、母マリアはベツレヘムで歓迎されず、人々の目の届かない家畜小屋に追いやられたのではという解釈です。
それは、仕事のために律法を遵守できず忌み嫌われた羊飼い達も同様でした。本来であれば、ベツレヘムに行くことすら億劫であったはず。しかし、この羊飼い達は、主の天使が知らせてくれた喜びの知らせを信じ、その言葉に大きな希望を抱きつつ、「さぁベツレヘムへいこう」と歩みだしていったのです。その先に、本当に救い主が居たことで、心から喜ぶ羊飼い達の姿は、クリスマスの喜びを本当の意味で表しているのだと思わされます。特に主の天使の言葉は今日のわたし達に向けられたものでもあります。救い主イエスは確かに当時の人々の元に産まれましたが、その救いの業は今のわたし達に示されているのです。
痛みの中で生まれた救い主。しかし、その痛みは、当時の社会や人々が作り出してしまったものでもあります。差別や争い、様々な痛みがあるこの世の中ですが、今の世にイエスが生まれるとしたらどこで生まれるのでしょうか。そしてその場所に、わたし達は出向くことが出来るでしょうか。もしかしたら、わたし達が拒絶したその先に、救い主がおられるのかもしれません。誰かを遠ざけ、拒絶する社会ではなく、わたし達から隔たりを取り払い、賛美の歌にあるように、「諸人(全ての人)こぞりて」とクリスマスの喜びをより多くの人と共に喜び合うことが出来ますようにと祈ります。
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