11/3 「命をありがとう」 三浦 遙 聖句:ヨハネ5:19-30
天の国に召された信仰の友を覚えて祈る「召天者記念礼拝」。わたし達の教会も多くの信仰の友を神様の御許にお送りしました。地上での別れはわたし達の心に大きな穴を開け、今なおその悲しみは癒えることはありません。しかし、信仰の友が神様の御許で、安らかに過ごしておられるとわたし達は信じております。今回の箇所で、イエスが「永遠の命」について語っていました。ここでは、イエスが主なる神様と同じ権威を持つことをはっきり示しています。「死者を復活させて命を与える」こと、そして「命を与える」か「裁きを行う」ことです。
少しややこしいですが、キリスト教における「復活」はいずれ全ての人に行われることで、問題はその後に天の国に受け入れられ永遠の命を得るか、裁きを受けるかの裁判が行われるのです。その裁判と裁きという恐ろしい可能性があるからこそ、地上での生が大切になっていくとされます。イエスは今回の箇所で3度「はっきり言っておく」と告げます。より重要で、より聞き入れて欲しい時に「はっきり言っておく」という言葉を用いるのです。それは、「わたしの声を聞き、信じて従いなさい」という救いへの招きでもあります。
イエスの「永遠の命」という言葉を聞くと、草場一壽(かずひさ)さん作の『いのちのまつり-ヌチヌグスージ』という絵本を思い起こします。1人の少年が葬儀の場で、自分の命が多くの命の繋がりの中で存在していることに気がつき、命に感謝する物語です。わたし達も自身の命を想う時、多くの繋がりの中で生かされている事を覚えます。それは決して血の繋がりだけではなく、様々な出会いの中で生かされてきた。今のわたし達も、そして教会も信仰の友との出会いと交わりによって導かれ、ここまで繋がっている。その繋がりはイエスの示す「永遠の命」として今も、これからも決して失われることのないものへと変えられていくのです。地上の、そして天上の命をイエスは尚も大切にし、導いてくださる。その希望と慰めを今一度思い起こして歩み出していきたいものです。何より、これからのわたし達もこの地上にて、多くの人と命を結び、紡いでいく。命が軽んじられることなく、「ありがとう」と感謝を持って生きる世界となりますように。
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