10/27 「先立つもの」 三浦 遙 聖句:箴言8:22-31
天地創造よりも以前から神と共にあった「知恵」を人格的に描く今回の箴言の言葉。山も水も、それらの理りさえ定められる前に、知恵である「わたし」が主によって「生み出された」。そして、主の前で楽を奏し、地上の人々と共に楽しんでいた、と示されていました。とても詩的な表現ではありますが、言い換えればここで語れていることはわたし達人間が地上に創られる前と、神と決別してしまう前の「平和な世界」を歌っているということです。
この箴言という書は「戒め」や「針」という意味がありまして、心に刺さるような戒めの言葉が記されているのが特徴です。真の知恵と知識は神を敬い、神に従うことによって得られるものであるとし、信仰的教育のための書なのです。そんな箴言がわたし達に示すのは、天地創造より前からあった「知恵」だからこそ、「今の世の中に何が欠けているのか」ということを知り、わたし達に警告していることです。科学の進歩や社会の変化の中で、超えてはならない一線があると言われます。しかし、わたし達はその一線をたやすく超えてしまうことがある。環境問題や人権問題など、すでに平和な世界から逸脱した問題が多く存在しています。そんなとき、この箴言の言葉はわたし達に与えられた「知恵」が何のためにあるのかを思い起こさせてくれる。よく分からないからと神や神秘を軽んじるのではなく、神が創られたこの世界の中で創られたものとして、この世界を守り、また神の御心に従うように歩むことを忘れてはならないということを思い出させてくれるのです。
今回の箇所を共に読む中で伝えたいメッセージは、「この世界で共に生きるために、本当に大切なことを見失ってはいけない。」ということと、「わたし達から、そのことを隣の人にしっかりと伝えていかなければならない。」ということです。イエス・キリストの誕生という喜びの知らせを心待ちにする中で、降誕前節のまず最初にこれらのことを思い起こし、胸に秘めつつ、歩んでいきたいと願います。
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