8/18 「結ばれて」  三浦 遙   聖句:ロマ7:1-6

 自由という言葉は英語では“Freedom”と“Liberty”という二つの言葉で表現されます。前者は「何者にも束縛されない自由」であり、後者は「特定の権利としての自由」という違いがあります。聖書に登場する律法。これは神から与えられたルールでしたが、言い換えればこの律法があったからこそ、人間達は過ちを犯さず、自由に生きる事ができたのです。しかし、新約聖書の時代には、その律法を用いて人々を縛り付ける姿が描かれていきます。人を自由にするはずのルールが自由を奪うものになってしまったのです。パウロはそのような束縛を与える律法から解放されたキリストの恵みについてを示すのでした。

 今回の箇所で「死ぬことで解放される」という少しおどろおどろしい表現がありました。これは決して「死んだ方がいい」という意味ではありません。これにはいくつかの意味がありますが、簡単に言えばキリストによって生まれ変わった恵みを表しているのです。キリスト教の洗礼も水によって過去の罪を洗い流し、新しい命を得ることを象徴するものですが、それ以上にキリスが十字架に掛けられ、その命を捧げられたことで、全ての人が新しい命へ招かれていった。そのことを「死ぬことで解放される」とパウロは表現したかったのです。新しい命と新しい生き方をキリストによって示され、与えられたわたし達には、まさに神の支配の内にある自由が与えられていくのです。

 しかし、今のわたし達は自由でしょうか。学校の規則や社会のルールなどの煩わしいものが多くあります。ですが、それらが何もない”Freedom“な世界は、秩序のないものになりかねません。かといって、わたし達を縛り、誰かを排除するルールで、本当にわたし達が望む自由は得られるでしょうか。今のわたし達の世界の規則やルールは、誰かを否定するものとなっていないでしょうか。神様やイエスが示す自由は誰も排除されない、誰も悲しむことのない理想的な自由です。キリストに結ばれ、新しい生き方へと招かれる時、それは大きな希望を与えるものでもありますが、何より今のわたし達へ問いかけるものでもあるのです。

 相手を縛るような、排除するような関わりではなく、想いと平和を結んでいくような交わりを成していくことができますように。それが、キリストによって示される新しい生き方であり、わたし達を縛るものから自由へと解放してくださる恵みであることを思い起こしていきたいと願います。

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