6/30 「カモシカ」 三浦 遙 聖句:使徒9:36-43
新約聖書の使徒言行録はイエスの弟子達とキリスト教会の歩みが描かれています。使徒とされた12人の弟子達だけではなく、教会やキリスト教の交わりの中で宣教の業に尽力した人物が多く存在します。今回登場したタビタという女性もその一人でした。注目したいのは、冒頭の箇所で「タビタという婦人の弟子がいた」という言葉です。男性優位の社会の中で、キリスト教の教会も使徒をはじめとする男性の弟子達が中心とされてきました。そもそも、女性が「弟子」と評されることも無かったのです。しかし、このタビタという女性は弟子と言われるほどに善い行いと施しをしていたのでした。
ですが、そんなタビタは病に倒れてしまいます。熱心な弟子が病に倒れること、それは神に喜ばれるべきことと相反することのようにも思います。なぜ、愛されるべき弟子が命を失うのか。そのことの応答がペトロの奇跡に示されています。タビタのところにきたペトロは、祈りを捧げ、「タビタよ、起きなさい」というと、タビタは目を覚ますのでした。これは、イエスが少女に行った奇跡と同じものです。ここでは、ペトロがイエスと同じくらい凄いということではなく、キリスト信仰において「死が終わり」ではないという希望が示されているのです。キリスト者にとって「死」は終わりではなく、来るべき時に、イエス・キリストによってわたし達は再び「起き上がる」という救いの言葉が示されるのでした。「カモシカ」と呼ばれたタビタ、物語の中でよくよく愛されている姿が描かれています。
わたし達にとって、このタビタのような方とはどのような人を思い浮かべるでしょうか。善い行いをしても報われないという想いを抱く人の姿や、これまで自分自身の報われない経験を思い起こすこともあるかもしれません。しかし、どれだけ報われないと思う中でも、必ず神様やイエスが報いを示してくださる。最後の時に示される希望の約束を思い起こし、信じて、これからも隣人を愛するような善い行いに励んでいくことが出来ればと願います。
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