6/16 「聖なる生活」 三浦 遙 聖句:ヘブ12:14-29
神様のイメージはどのようなものでしょうか。イエスは福音書の物語の中で、怒ることも泣くこともある人間味のある方として描かれ、イエスの周りにはいつも多くの人がいて賑やかな印象を持ちます。しかし、神様はそのイエスとは少し違う印象を抱くものです。無機質で、無感情、そして恐ろしい。旧約聖書における神というのは「恐れ」と「畏れ」の対象でした。
今回の箇所では「平和と聖なる生活」を勧めていますが、その内容は難解なものです。注目したいのは18節において「燃える火、黒雲、暗闇…などの恐ろしいものに近づいたのではない。」とありました。これは旧約聖書の出エジプト記において、イスラエル民族がシナイ山に到着した際、神の臨在の様子を指すものです。簡単にいうとこの時の神様は清く聖なる方なので、人間が近づくことすら出来ないし、とても怖かったのです。しかも、律法が与えられた時、人々は愕然としたと思います。神に仕える人間の本来あるべき姿を示す律法の教えとこれまで自分たちが行ってきた生き方が大きく異なっていたからです。神の清さと自分たちの罪深さを目の当たりにした人々はまさに神を「おそれる」しかありませんでした。
しかし今回の手紙は、イエスによって罪が赦されたわたし達は、神を恐れ遠ざかるのではなく、すでに恐れる必要もないほどに招かれ、交わりに導かれているのだと示すのでした。28−29節において「揺るがない御国」という豊かな恵みと「焼き尽くす火」という神の厳しさを示しつつ、聖なる神に仕えるものとして、平和と聖なる生活とを志すようにと伝えるのでした。
わたし達は自分たちが「聖なる生活」をしているとは言い難いかも知れません。そもそも「聖なる生活」とは?と思ったりもします。しかし、愛ある交わりを常に求めてきました。恐ろしくも豊かな恵みで守り導いてくださる神様の愛に応えつつ、イエスの希望に満ちた御言葉に支えられつつ、今一度自分の歩みを見つめ直しながら、歩んでいくことが出来ればと願います。
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