6/2 「信仰の始まり」 三浦 遙 聖句:ロマ10:5-17
イエスの意思を継ぎ、全世界へ福音を述べ伝えるために歩み出した使徒達。その使徒達とは別に復活のイエスによって宣教の業へと招かれたパウロという人物がいました。彼は使徒達と同じかそれ以上に宣教の業に励み、新約聖書に記される多くの手紙を残しています。パウロは各地に教会を建てただけでなく、それぞれの教会の課題についても手紙でアドバイスをしていました。
その中でも一番力を入れていたのが、「どうすれば救われるのか」という事柄への勧めであったと思います。ユダヤ人達にとって救いとは「良い行いに対する報酬」であり、何よりも「律法」という神の掟を守ることによって救われると考えていました。もちろんそれは、これまでのユダヤ人の歩みの中で、神との約束を破り、落ちぶれていった歴史があり、その反省があるからこそでした。しかし、律法を守ることに固執しすぎたため、立法を守らない、守れない人々を虐げていたのです。パウロはそのような律法に縛られる必要はないこと、イエスによって「信じることでこそ救われる」と示していくのです。
このことは教会にも向けられています。当時の教会において、キリストの恵みを受けてなお、誰がキリストの救いに相応しいかと互いに比べ、相応しくないとされる人々を低く見ていた。そうではないのだとパウロは力強く示します。信仰を告白し、福音を告げていく、そのために一人一人が招かれ、押し出されていくと伝えるのです。何より、キリストを受け入れ、御言葉を聞いた瞬間から信仰は始まっていくし、全ての人が救いに招かれているのだと。
わたし達の信仰の始まりはいつでしょうか。それぞれ何かしらの印象深い思い出もあるかもしれませんし、中にはいつの間にか信じていたという人もおられます。深さや相応しさやどれだけ業に仕えたかではなく、ただ信じるだけで救いへと招いてくださる神様とイエスの豊かな愛を、今一度思い起こしていきたいと願います。そして、その救いの御言葉をわたし達もより多くの人々に告げ知らせていくことができますように。
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