5/12 「渇く者は来なさい」  三浦 遙   聖句:ヨハネ7:37-39

 先日の木曜日は「昇天日」でした。これは復活したイエスが40日間、地上にて弟子達に教えを語り、その後に天に上げられていったことを記念する日です。40というのは「すべてを終えるのに十分な数」という意味で、旧約聖書などでは「40日40夜、雨が降り注いだ」洪水物語や、「40年間荒野を彷徨う民」の物語など、「一巡する、満ちるまで」という意味合いでよく用いられていました。地上での教えをすべて語り終えたイエスは弟子達に後のことを託して天に上げられますが、最後に約束をしています。それが「聖霊降臨」の約束です。

 今回の箇所でもその約束についてが触れられています。仮庵祭というユダヤ人にとって重要なお祭りの最後の日、イエスは唐突に立ち上がり「渇いている人は誰でも、わたしのところに来て飲みなさい。」と言います。イエスから賜る水はその人の中で決して渇く事の無い、生きた水の流れとなり、その人だけでなく周囲の人まで潤すのです。当時、仮庵祭の最後には、神殿に水を捧げる儀式が行われていましたが、この言葉は旧約のゼカリア書の預言を表すもので、世の終わりに主が「命の水」を与えるという言葉を体現するものです。

 また、聖書は「命の水」を主による「霊」と表現していました。目には見えないけれども、その人の内側に充満し、その人を生かすものであり、また分け与えていくことのできるものであると語るのです。そしてその根源は神からの恵みであり、神そのものであるのです。イエスは「渇く人は誰でも来なさい」といいます。イエスの元に来れば「生きた水」、「神の霊」を受けることができる。言い換えれば、イエスや神を受け入れることが「霊を受けること」であるのです。

 「求めなさい、そうすれば与えられる」という言葉にあるように、神は来るものを拒みません。わたし達もその慈しみによって受け入れられているのです。わたし達がこの霊によって生きた水をその内に与えられた時、その使命はその水によってより多くの人を潤していくことでもあります。日々、与えられ、満たされるように神の御心を受け止め、その恵みをより多くの人と分かち合っていく。聖霊の豊かな恵みに感謝しつつ、その恵みと愛に応えていくことができますようにと祈ります。

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