5/5 「100%勇気」 三浦 遙 聖句:ヨハネ16:25-33
イエスが弟子達を派遣した物語を読む時、そこにはドラマチックな雰囲気が漂います。一度は裏切ってしまった弟子達と、裏切られてもなお弟子達に歩み寄っていくイエス。ですが、この場面より以前に、イエスは弟子達を送り出していくための言葉を投げかけていました。
ヨハネ福音書の16章の後半にて、イエスは弟子達に「もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る」と伝えています。それは弟子達がイエスを信じたからこそであると言います。だからこそ、イエスは自身の受難についての教えを包み隠さずに伝えていくのです。何より、弟子達が信仰を持ってしても、イエスを一人にし、離れてしまうことを伝えます。しかし、イエスはそのことで、イエスの受難を通して弟子達が離れたままになってしまわないようにと声をかけます。「わたしは一人ではない。父が共にいてくださる。」という言葉を持って、あなた方の弱さをも包み込み、それらを踏まえてもなお導いてくださる神様がおられるのだから、この後何があってもまた戻って来なさいと示すのです。その言葉によって弟子達の心に平和を示そうとするイエスの姿があります。
この後の受難は確かにイエスが全ての人の罪を背負って受けられるものですが、その傷はイエスだけではなくイエスを信じる全ての人にも与えられていくものです。自分たちの弱さや醜さ、さまざまな罪があるからこそイエスが十字架に掛けられていく。しかし、その弱さも醜さも罪も全てを受け止めてイエスは歩まれ、神は導いてくださる。「私は既に世に勝っている」という言葉を持って、だからこそ、そのイエスの受難という苦難やこれから受けうる世にある苦難を超えて、勇気を出して歩んでいきなさいと示すのです。このイエスの言葉通り、弟子達は一度は挫折し、離れていきますが、それでも招くイエスの元に再び集まり、福音を述べ伝えていくのでした。
わたし達も、様々な挫折をし、世にある苦難に打ちひしがれるときがあります。しかし、どれだけ弱く、脆いわたし達でもイエスや神は「離れずに歩きなさい」と傍に招いて、共に歩んでくださいます。今のわたし達も勇気を持って、主の福音を述べ伝えるものとしてこれからも歩んでいきたいと願います。
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