4/28 「背を押されて」 三浦 遙 聖句:マルコ16:14-18
マルコによる福音書はイエスの生涯を良くも悪くも、とてもシンプルに伝えています。特に、イエスがどのように思っていたのか、弟子達がどのように感じたのかという心理描写は少なく、出来事の結果のみを淡々と伝え記しています。
復活したイエスが弟子達を宣教に派遣していく時、イエスは「全世界に行って、全ての造られたものに福音を述べ伝えなさい。」と語っていました。この言葉は創世記の物語を思い起こさせるものです。これから全世界というあらゆる垣根を超えて歩み出すこと。それは大変難しいことです。色々な人がいて、色々な違いがある。その出会いの中で裏切られることだってあります。弟子達もそうでした。しかし、そのような垣根を超えて神やイエスはこれまでずっと、裏切られても尚、招いてくださっていた。また、この福音を世界に広げる約束は神がアブラハムと交わした契約でもあります。イエスを通して隔たりが取り払われた今、ようやく弟子達がその契約を成し遂げるために押し出されていくのです。
弟子たちをはじめとする全ての人と神との間にあった大きな隔たりを取り除き、今一度、神と人とが契約を交わす様子が今回の箇所にて描かれているのです。だからこそ、その後のことを人に任せ、委ねていく。信じるも信じないも、契約を果たすも破棄するも、人々に委ねられていく。しかし、もし、神を求め、イエスの名によって歩みだすなら、神も様々なしるしを通してその道を守り導いていくことが最後の言葉においてはっきりと示されていくのでした。
今回の箇所で描かれた弟子の派遣。その中には、今までの神と人との歩みを思い起こしつつ、イエスの十字架による奇跡と弟子たちへの信頼が描かれていました。その神からの様々なしるしを受け取った弟子たちは、その後、イエスとの約束を胸に全世界へと歩みだし、今、世界中で神のみ言葉が語り継がれている。今のわたし達にも繋がっているのです。この派遣の言葉は、今のわたし達も、毎週の礼拝の最後に派遣の言葉として用いられ続けています。神によって集い、賛美し、み言葉を聞き、そして世界へと背を押されて、送り出されていく。毎週行うことではありますが、その派遣には本当に多くの願いとしるしが込められているのです。
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