4/21 「愛しているか」  三浦 遙   聖句:ヨハネ21:15-19

 弟子達と食事を取るイエスが、シモンに対して「この人たち以上にわたしを愛しているか」と問いかけます。これに対してシモンは「はい、わたしがあなたを愛していることはあなたがご存知です」と答えると、イエスは「わたしの子羊を飼いなさい」と告げています。しかし、その後もう2回、同じ問答が繰り返されるのです。疑い深いイエスに見える箇所ですが、そうではないのかもしれません。3度にわたるこの「愛の問い」は、シモンの3度の裏切りを思い起こさせます。裁判にかけられるイエスをよそに、シモンはイエスを知らないと3度裏切ってしまうのです。しかし、シモンはここで「あなたがご存知です」と答えていました。それはイエスがシモンの心をよく知っておられるという思いが示されています。言い換えれば、イエスに隠し事は出来ないということをシモンは知っているのです。イエスに従った時もイエスを裏切った時も、表面的なものではなく心の全てをイエスは知っておられる。だからこそシモンが行った裏切りは消すことのできない大きな過ちであったのです。

 しかし、ここでのイエスはその裏切ってしまった「ペトロ」ではなく、ただの弱さを持ち、罪を背負う一人の人間としての「シモン」に問いかけるのです。その問いに「愛している」と答えるシモンに、その愛の行いとして「羊を飼いなさい」と命じています。羊はおそらく後のキリスト者達を指すものです。シモンを一人の指導者として押し出していくイエス。しかし、その歩みには苦難も示されていきます。宣教における苦しみや、老いることの不安などです。若い時は自分の力でなんでも出来たし、選択する自由もあった。しかし、この主の愛に立つとき、自分の力ではなしえないことや、選択することも出来ない中で歩むこととなるのです。言い換えればキリスト者は「死ぬまで服従する」ことが求められていくもの。ですがそれを強制することは神にも出来ないからこそ、イエスは「わたしを愛しているか」という問いを持ってシモンを招き、その招きに今度こそシモンは応えるのでした。

 イエスと向き合う時、岩という意味のあるペトロとしてだけではなく、これからはより強固な土台である愛に立って歩んでいくシモンとして送り出されていくのです。信仰の道はイエスやの心を自分の心として生きること。それが神を愛するということなのだと思わされます。シモンは能力や信仰によって選ばれたのではなく、どうしようもない弱さを持ちつつも、それでも主を愛するという一点において遣わされていく。わたし達も出来ることは少なくても、主を愛して歩んでいきたいと願います。

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