4/14 「破れない網」 三浦 遙 聖句:ヨハネ21:1-14
弟子達は復活のイエスと出会った後、宣教へと歩み出す前に漁師として僅かながらの働きをしていました。その日、一晩中網を打っていた弟子達でしたが、1匹の魚も取れませんでした。しかし、復活のイエスの指示に従うと網が破れそうなほどの魚を取ることが出来たのです。復活したイエスは魚を持ってきた弟子達を食卓に誘い、パンと魚とを分け合いました。
当たり前のように描かれていきますが、この食事はイエスを裏切る前の最後の晩餐以来の、イエスとの食事です。イエスは自分を裏切った弟子達を改めて食事の場に招いていくのです。特に、この物語は「人間を取る漁師にしよう」というイエスの言葉と繋がります。弟子達だけでは1匹の魚も取れなかったが、イエスの指示によって大量の魚が網にかかったこと。これまでのやり方ではなく、イエスの方法や言葉によってこそ、弟子達の宣教の業は真価を発揮していくということかもしれません。
注目したいのは、どれだけ大量の魚が掛かっても、網が破れることが無かったという表現です。言い換えれば、イエスの示す宣教の業は決して破れることないものであるということかもしれません。問題は、その網をどこに向かって投げ入れるのか。人を魚に例えるのは失礼かもしれませんが、常に揺れ動き、流れの変わるこの世の中で、人々の心も魚のように流され、浮き沈みしていくものかもしれません。その人々を招き、また手を差し伸べていく事。そのようにイエスの示す決して破れることのない宣教の業は、今のわたし達にも引き継がれ、託されています。新年度を歩む時、わたし達一人一人も宣教の業を担っていくことを思い起こしつつ歩んでいきたいと願います。
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