2/11 「奇跡の奥義」 三浦 遙 聖句:ヨハネ6:60-71
今回の箇所の冒頭から、すでに多くの弟子達がイエスから離れようとしていました。それは、少し前の箇所にて「わたしの肉と血を食すことで永遠の命を得ることができる」とイエスが伝えていたことへの応答です。その拒絶の姿を見てイエスは「何よりも霊が大切だ」と伝えるのでした。
ここでの弟子達の拒絶はイエスがまるで人肉を食べるような事を教えていたからではありません。もちろんそのような節はあったかもしれませんが、それ以上にイエスがこれから死んでしまうことを計画に入れていること自体が馬鹿馬鹿しいと感じたからでした。死ぬことを計画に入れるのは不自然なことです。そんな人を師として敬うことは出来ない。しかし、イエスは「復活」とそれらを示す「命の言葉」とを踏まえて、イエスを霊的に受け入れていくことを示し、信じるようにと招くのです。
それでもイエスの元から大勢の弟子が去っていきました。この場では多くの弟子が躓きましたが、このイエスとの霊的な交わりこそが、まさに奇跡の奥義であると言われます。癒しや業として奇跡は確かに目にみえる回復が示されますが、その実、それらの奇跡を通して描かれるのはイエスとその奇跡によって救われた人との霊的な出会いであり、交わりです。言い換えれば、イエスとの霊的な交わり、イエスを救い主として信じない人にとっての奇跡はさほど重要なものとして描かれていかないのです。目にみえる肉や血によるものではなく、その奥に示されていく命の言葉と、霊による交わりこそが、わたし達を真の自由に導いてくださるのです。
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