2/4 「神がそうなさるから」 三浦 遙 聖句:ヨハネ5:1-18
福音書の物語で、イエスは様々な奇跡や教えを示されます。しかし、それらを信じられないばかりか、イエスを犯罪人として見ていた人々もいました。今回の箇所ではイエスが安息日にも関わらず病人を癒し、そのことで批判されています。安息日はユダヤ教において「仕事をしてはならない日」であり、神によってそのルールが作られたと信じていました。そんな安息日をイエスは守らず、尚且つ「父である神がそうなさるから、わたしもそうする」と自分自身が神の子であり、神の代弁者であると告げるので、ユダヤ人達はカンカンに怒ります。結果、これらの出来事がイエスの十字架に至るきっかけであり原因となっていきます。
イエスはなぜ安息日にも関わらず癒しの業を示されたのか。それはこの安息日が仕事をしてはいけない日という以上に神様と向き合う日であるからです。神は確かに世界を創られた7日目に休まれますが、その後も人々に働きかけてくださる神です。日々生かされる人々がその恵みを思い起こすために安息日がある。ここでイエスがなされたのはまさに神と人とが交わりを持つことであったのです。
主なる神はいついかなるときであっても人々に手を差し伸べられる方。同じように、イエスもどのような時であっても手を差し伸べ、声を掛けていく。その結果、非難されようとも、愛する神がそうなさるのだからと、自分を顧みずに愛されようとする姿は、真似しようにも難しいものですが、わたし達も愛するイエスのように、優しさを持って手を差し伸べていくことができますようにと祈ります。
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