1/21 「最初の奇跡」 三浦 遙 聖句:ヨハネ2:1-11
イエス・キリストは福音書の物語の中で、様々な奇跡を起こします。その最初の奇跡として「カナの婚礼」における「水をぶどう酒に変える奇跡」が今回の箇所に描かれています。イエスとその弟子達が、カナで行われる結婚式に参加し、その場にはイエスの母マリアも同席していました。しかし、披露宴の最中でお酒が尽きてしまった時、母マリアはその事をイエスに伝えています。
ここで注目したいのは、母マリアが願いや頼み事をするのではなく「お酒が無くなった」と報告のみで済ませている事です。そこには、自身が思う以上のことをイエスが示してくれるという信頼であり、信仰が描かれています。しかし、イエスは「わたしには関係のない事。まだその時ではない」と冷たく返すのですが、そんなことを言いつつも、召使い達に水を汲ませ、その水をぶどう酒に変える奇跡を起こして式を助けるのでした。
ですがこれは、ただの奇跡の物語ではなく、とても象徴的な物語です。そもそも、ヨハネ福音書では、奇跡ではなく「しるし」として表していました。それはただの稀な出来事ではなく、神様からのメッセージが込められているということでもあります。特にヨハネ福音書では、ぶどう酒に変わった水はユダヤ人の清めの儀式に使われるものであったと記しています。神の前に立ち、礼拝をする前に、汚れを清めるためのものです。しかし、イエスが来られたのはその汚れを肩代わりされ、拭い去るためでした。そのため、この清めの儀式はこれから不要になるのです。清めの水から、誰もが共に囲える喜びの食卓のためのぶどう酒に変わっていくこの奇跡は、これからイエスが行う十字架での贖いとその後の平和な世界を表しているのです。しかしそれは、イエスが十字架に掛けられた後に示されることでした。だからこそ、母マリアに「まだその時ではない」と伝えるのです。
とても偉大な奇跡ですが、この奇跡を見届けたのは式に参加した中でも母マリアと弟子達と召使い達のみでした。それはイエスのそばにいるか、奉仕をする中でこそ、神様の奇跡やしるしに気づくことが出来るというメッセージなのかもしれません。わたし達も働きかけはもちろん、祈りをもって奉仕をしています。何より、主の弟子達や母マリアのようにイエスのそばにいる事を望み続けることで、皆が共に集う喜びの食卓が実現するような神様からのしるしを見逃さず、しっかりと受け止めていくことが出来ればと願います。
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