12/3 「主に向かって」 三浦 遙 聖句:出15:1-21
出エジプト記の物語で特に有名なのはモーセの海割りで、モーセがイスラエルの人々を連れてエジプトを立った後、エジプトの軍隊に追い詰められそうになった際、モーセが葦の海を杖で割り、乾いたところを渡ってエジプトの軍隊を退いたという物語と言えるかもしれません。今回の箇所では、その後の様子として神を賛美する「海の歌」をモーセと人々が歌っている場面となります。
しかし注目したいのは、その最後に出てくるモーセの姉であり預言者であるミリアムという人物の姿です。というのも、実はこの海の歌はモーセのものではなくミリアムの歌であったという説があるそうです。それは、ミリアムではなくモーセを表に出すように書き換えられたということでもあります。出エジプト記以降において、ミリアムが登場するのはモーセを批判する場面と、そのことで重い病に臥せるという物語ですが、その際には、イスラエルの民はミリアムが回復するまでその場を離れなかったとありました。
モーセが指導者として描かれていく中で、実は姉のミリアムという存在は大きなものであったといえますし、ミリアム無くしてはモーセもイスラエル民族も出エジプトを成し得なかった。この陰に追いやられた女性の姿は、新約聖書において表面に浮き彫りにされていきます。キリストの母となるマリアという女性は、このミリアムと深い関係にあるのです。そもそも、マリアという名前はこのミリアムから取られたとされています。女性の預言者として男の指導者達の陰で支え、また追いやられつつ、それでも神と人とのために仕えていく姿がマリアに引き継がれていく。役割としては差別的な姿も描かれますが、ミリアムが幼子モーセを救い、エジプトを出た後、マリアが幼子イエスを連れて時が満ちるまでエジプトに帰っていく。イエス・キリストの誕生の物語は、まさに旧約聖書の物語を思い起こしつつ、新たに刻み込まれていく物語です。
ミリアムとマリアは過酷な使命の中であっても、それでも主に向かって祈りと魂を捧げていった姿が聖書には描かれています。アドベントのこの時、主を待ち望むわたし達はただキリストの誕生を喜ぶだけでなく、キリストが世に必要なほど、悲しみと苦しみに溢れていたという悲劇にも目を向けなければならない。その過酷さの只中にキリストはお生まれになり、救いの手を差し伸べられる。今のわたし達も、主に向かって賛美と感謝の祈りを持って、クリスマスまでの日々を歩んでいきたいと願います。
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