11/19 「引き上げられた」  三浦 遙   聖句:出2:1-10

 旧約聖書の出エジプト記は、創世記の物語においてエジプトの飢饉を救ったアブラハムの子孫達がエジプトに移り住み、400年経った後の物語です。創世記から400年後のエジプトではイスラエル民族が奴隷として虐げられ、苦しみの中にあった上、これ以上勢力を持たないようにと、男児の赤子が生まれた際には殺すようにと命令が降ってしまいます。

 今回の箇所で1人のイスラエル民族の女性が男児を出産し、その男児をナイル川に逃しますが、その男児はファラオの王女によって拾われていきます。この王女は、その拾った赤子が殺すべきイスラエル民族であると知りつつも不憫に思い、自身の子どもとして迎え入れていくのでした。のちに、この男児がモーセと名付けられます。それは「水の中から引き上げられた」という言葉に由来するそうです。モーセはその後にエジプトにおいて苦しめられるイスラエルの民を救い出し、約束の地に導いていく偉大な指導者となるのでした。

 なぜ、この物語がクリスマスの前に読まれるのか。それは、イエス・キリストも生まれた時には命を狙われ、多くの苦しみの中にあって、守られて歩んでいく。イエスの生涯はそのように旧約聖書の創世記からの物語に倣って示されていきます。それはイエスの生涯と福音が旧約の時代から示されているし、これまで歩んでいきた人々の苦しみの悲しみの全て引き受けて進まれているということを示すためでもあります。

 しかし、注目したいのは創世記から示されていた神様の計画や導きだけではなく、その中にある人間の愛ある姿があるということです。今回のファラオの王女も、権威者であり偽善的であったとしても1人の人間の命を思って、不憫に思い、手を差し伸べて引き上げていく。そのことによってイスラエル民族が救われていくのです。

 わたし達も神様の計画は理解できなったとしても、不明瞭の最中であっても、わたし達にできる最善かつ偽善的なものであっても、隣人を愛し、自分を愛し、神様を愛して歩んでいくことができればと願うのです。冷たい水の中から神だけではなく人の手によって引き上げられ、助けられ、支えられてきたわたし達は、これからもその愛を思い起こしつつ、何より神とイエスによって示された大きな愛を受けつつ、感謝を持って愛ある交わりを成していくことができますようにと祈ります。

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