11/12 「祝福」 三浦 遙 聖句:創12:1-9
キリスト教や教会において使われる言葉の中には、日常ではなかなか使わないような言葉も多いかと思います。祈りや導き、御業や御心などは、普段の生活でもなかなか使わないような言葉です。また祝福という言葉も、教会でよく用いられる言葉です。この祝福とは神から与えられる恵みであり、神の恩恵が与えられたことを示す言葉です。この祝福はこの地上にいる全ての人に注がれているものでありつつ、神を信じ、その身元に集わんとする人々にはより一層喜びに満ちた祝福が注がれているものだと言われています。
創世記の主要人物の1人であり、後のイスラエル民族の祖となったアブラム。後にアブラハムと名を変えていくこの人物は75歳の時、神からの召命を得ます。「あなたは生まれ故郷を離れ、わたしの示す地に向かいなさい」。唐突に聞こえてきた神様の命令に、アブラムは何も言わずに従います。75歳という老年であったこともあり、これ以上何かを成すことなど出来ないという想いもあったでしょうし、子どもがいなかった2人にとって、この命令と祝福の約束は何にも変え難い恵みでもあったのです。神はこの契約を実現され、アブラムから多くの民、イスラエル民族という神を信じる民が生まれ、のちの旧約聖書の物語、果ては新約の物語の主人公となっていきます。
その関係の歴史は今のわたし達にも続いています。わたし達がアブラハムによって繋がれた神との関係を、今も大切に守り続けている。神がアブラハムを用いられて、神様の祝福を全世界に示されているように、今のわたし達も多くの出会いによってその祝福を受けています。何より、神様が当時75歳という老年であったアブラムを用いられたように、わたし達の想像を超える形で、様々な出会いや交わりを示してくださる。いまを生きるわたし達も、今与えられている交わりにおいて、またこれから示される出会いにおいて、神様の祝福を示すことが出来ればと願います。
神の召命に応えたアブラムや、聖書に登場する様々な人のように、今のわたし達も様々な出会いの中で、神様の祝福を世に伝え、共に礼拝を守ることが出来るように、わたし達一人一人が、祝福となりえることを覚えて、信仰の道を歩むことが出来ますようにと祈ります。
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