11/5 「石の上にも六年」  三浦 遙   聖句:エフェ1:15-23

 「石の上にも3年」ということわざがあります。どれだけ辛い石の上であっても、3年も座れば暖かくなるように、何かしらの変化とともに好転の芽が出てくるという意味の言葉です。「石」というと聖書の登場人物に岩の名を持つ「ペトロ」という人物がいました。イエスはこのペトロに対し、「この岩の教会を建てる」といい、ペトロの働きによってキリスト者の交わりが広められ、ペトロの墓の上に聖ペトロ大聖堂が建てられています。

 今回の聖書の箇所で使徒パウロがエフェソの教会の人々に向けて感謝と祈りを示していますが、その中には「心の目を開き、神を知ること」「主の希望と栄光がどれほど働きかけているか」「それらの神の力がどれほど大きいか」を悟らせてくださるようにという祈りがありました。加えて、それらはキリストを頭とした教会において与えられているものであるとパウロはいいます。教会という大きな石、強固な岩は確かに良いことばかりではない場所かもしれません。しかし、そんな教会という場にわたし達は招かれ、また多くの人がその岩の上に座り続けてきました。何より、鳳教会に連なる信仰の先達者達は、時に暖かく、時に冷たいこの岩の上に、それでも主の豊かな恵みが多くの人々に示され、祝福が与えられるようにと祈りを合わせ、教会の歩みが好転し、愛のある交わりを願って歩んできました。それは信仰の先達者達が「教会がキリストの体であり、全てにおいて全てを満たしておられる方の満ちている場」であると信じた信仰のゆえです。

 今、召天者を覚えて祈るわたし達は、全ての連なる友のために石を温め、岩を守ってきた一人ひとりを思い起こし感謝を捧げるとともに、これからのわたし達も、信仰の先達者達や天上の友が示された愛に応え、主の御言葉に耳を傾けることで、心の目を開き、主の希望と栄光を覚え、その尊い働きの大きさに感謝しながら、教会という場所を守り暖めていくことが出来ればと願います。そのことを通して、天上の友を思い起こすことできますように。わたしがこの鳳に来て6年、この石の上での6年に感謝しつつ、これからの教会のために主の業に仕えていくことが出来ますように。

0コメント

  • 1000 / 1000