10/29 「救いの始まり」  三浦 遙   聖句:創1:1-5

 降誕前節に入りました。イエス・キリストの誕生を待ち望む時となります。キリストの物語、救いの物語は福音書において記されていますが、思い起こして頂きたいのは、救いの物語は旧約聖書の創世記から既に始まっていたということです。創世記は神が天地を創造された物語から始まっていきます。

 神が最初に造られたのは「光」でした。この光というのは、わたし達が創造するライトとは少し違うのかもしれません。というのも、2節にあるようにこの世界に最初にあったのは「混沌」と「水」と「霊」であり、何も無かったわけではないのです。しかし、そこは無秩序かつ、破滅的なその状況であったのでした。そこに神は「光」を造られ、「秩序」を造られたのです。その光は全ての物事に対して秩序を与え、平安を示していくのです。

 神はそんな「光」を造られ「良し」とされました。そして光を昼と呼び、闇を夜とし、「一日」という単位を造られたのです。この時、昼と夜のある一日という当たり前のものが造られていきますが、わたし達の歩みにおいても、秩序のある時や無秩序の時が当たり前のようあって、そして当然のようにそれらが過ぎ去っていくということが、この創造の物語に示されているのです。それはイエスに至る救いの物語においても同様です。救いに至るまでの歩みにおいて、秩序のある平和な時も、混沌とした無秩序の時も同様に示されていくし、その中で祈りを持って歩んで行った人々の姿が描かれているのです。

 聖書の御言葉は日々のわたし達にも光を与えてくださいます。迷い戸惑い、まさに混沌とした思いの中であっても、御言葉によって光が示されていくのです。イエスの誕生も、わたし達の心に光を与えてくれるものです。混沌から秩序を、闇のあるところに光を造られた神の物語から、混沌とした世界に、わたし達の心に光という平和と平安の秩序をお与えになるイエスの物語が始まっていく。救いの始まりが描かれていく。その光を胸に抱きつつ、その灯火を持って、隣人の心をも照らしていく働きがわたし達に託されていることも思い起こしていきたいと願います。今はまだ混沌とした世であったとしても、主の光を信じて。

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