10/22 「あなたのお陰」  三浦 遙   聖句:フィレ1:3-7

 新約の手紙の中で最も短い書であるフィレモンへの手紙。フィレモンは、ローマ市民であり、パウロと出会いキリストを信じる者となり、後に教会のリーダーとなった人物です。しかし、フィレモンに対し悪事を働き、逃げ出した奴隷の一人が獄中のパウロに助けを求め、その奴隷もキリストを信じる者となったという背景の中で今回の手紙は記されています。このフィレモンへの手紙はそんな奴隷であった人物を赦して欲しいことと、神の家族として受け入れるように願う手紙です。

 今回の箇所において、パウロはフィレモンの働きと信仰に感謝を示しています。注目するのは6節において「わたしたちの間でキリストのためになされているすべての善いことを、あなたが知り、あなたの信仰の交わりが活発になるように祈っています。」という言葉。この「信仰の交わり」という言葉にパウロは大きな意味を持たせています。この交わりとはギリシア語でコイノニアという言葉で、「分かち合う、関わりあう、仲間」と訳すことが出来るものです。キリスト教にとっての分かち合いとは「神の愛」を分かち合うことであり、互いの良いものも悪いものも分かち合っていく「愛のある交わり」を意味しています。

 今回、一人の奴隷が悪事を働いたわけですが、そんな罪人に対してもパウロはこの「愛のある交わり」を持って、仲間として受け入れて欲しいと願うのです。パウロが良い働きを覚えて、「あなたのお陰」と感謝するこの手紙。それと同時にイエスが病人や罪人とされた人々に対して「あなたのお陰で福音が示された」と投げかけたように、一見悪いものに見える、見せられているものであっても、神様による「愛のある交わり」においては、全く違ったものとして受け入れられていくのです。

 わたし達は日々、「あなたのお陰です」と感謝をすることがありますが、その「愛のある交わり」において示される物事や出会いに対しても感謝することが出来ているでしょうか。不利益や困難ささえも分かち合い、その中から喜びと希望を示してくださる神様の交わりを覚えて、わたし達も「あなたのお陰です」と神様や良い出会いや一見悪い出会いであっても感謝して歩んでいきたいと願います。

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