10/15 「心の静けさを」 三浦 遙 聖句:フィリピ1:3-11
新約聖書に記されている数多くの「手紙」。現代のネット社会とは違い、手紙一つとっても紙の高価さによる文量の制限や届けるまで時間の制限、そもそもの識字率の低さの制限などがあった中で、とても大切な想いが込められているものです。そんな手紙の一つ、フィリピへの信徒への手紙において、パウロは感謝と祈りを込めて言葉を記しています。
冒頭の3節以降の言葉には、いつもフィリピの人々を覚えて祈っているということ、その働きについて神に感謝しているとありました。そしてその善い業がキリストの来る日に成し遂げられるという確信があると伝えていました。これほどまでに人を褒めるのはなかなかに珍しいものです。なぜそこまでフィリピの人々を褒めるのか。それはフィリピの地がローマ帝国の支配下にあり、宣教の過酷な地であり、その上で教会がしっかりと立っていることがパウロにとって大変喜ばしいことであったからです。それ以上にかける言葉もないほどにフィリピの人々は霊に満たされて歩んでいたのでした。
しかし、今回注目したいのは9節以降の言葉。祈りとしてパウロは「知る力と見抜く力とを身に着けて、あなた方の愛がますます豊かになり、本当に重要なことを見分けられるように」という言葉がありました。この言葉を聞くときアメリカの神学者ラインホルド・ニーバーの「心の静けさを求める祈り」を思い出します。「神よ、わたしたちに変えられないことを受け入れる心の静けさと、変えなければいけないことを変える勇気と、それらを見分ける知恵をお与えください。」というものです。パウロは、フィリピの人々の歩みを覚える中で、「受け入れること」と「見分けること」を求めている。それは、後のわたし達においてもとても大切なことであると思わされます。
今のわたし達は本当に大切なことを見分けられているか。それ以上に「受け入れられているか」ということ。様々な変化があり、辛さを感じることもある歩みにおいて、本当に大切なこと、大切にしたいことを見失わず、神の愛がますます豊かになるように、しっかりと見つめていくことができればと願い、全てを神のみ心として受け入れていくことが出来ますように。
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