9/24 「天に富を」  三浦 遙   聖句:1テモ6:1-12

 学校の授業の中で、「あなたにとって大切なものとは」と尋ねると、ほとんどの生徒が「お金」と答えます。そりゃそうかと思ったりもしますが、お金以外の何かはないのだろうか?と純粋に疑問に思うものです。しかし、世間の様子やSNSなどを見ていると、いかに自分が裕福か、恵まれているかの競争が目に見えてアピールされています。そんな世界で、不安を覚えない人は確かに少ないでしょう。「富」というものは、いつの時代においても羨望の目で見られてきたものです。自身の生活のため、家族のため、お金は必要不可欠で、より裕福で安心した暮らしを求めるのは当然です。

 しかし、今回の箇所において、「わたし達は何も持たずに生まれ、何も持って行く事が出来ずに世を去る」という言葉がありました。それも、その通りだと思わされます。キリスト教の教えの中でいわゆる「清貧」というものがあります。必要なものだけ、清く貧しく、皆と施しあって生きて行く事です。それは富や裕福さを求めるとき、誘惑や罠、欲望に陥り、破滅に至ると考えられたからでした。福音書の物語においてイエス・キリストも「天に富を積みなさい」という教えを示しておられました。お金持ちの青年に対して「すべて施してから従いなさい」とも言われています。また、これは仏教においても似たような教えがあります。「徳を積む」とか、棺に入れたものは極楽浄土で1000倍にも増えるなどです。

 今回の手紙においても、富や裕福さではない利得の道として信仰を持つことを勧め、誘惑ではなく、正義・信心・愛・忍耐・柔和を求めるようにと示されています。そして勧められたこれらのものは、富や裕福さ、お金による価値などの「変化する」ものではなく、いつの時代も、これからも変わらない神による「正義・信心・愛・忍耐・柔和」であるということも忘れずにいたいものです。わたし達も日々、様々な誘惑に遭いつつ歩んでいますし、迷うことも多くあります。しかし、そんなわたし達を導くのは、変わらない神の御言葉と見ての働きです。勧められたものは一つひとつ難しいものばかりですが、天に富を積むように、本当に価値のあるもののためにわたし達一人ひとり、鳳教会として歩んでいく事ができればと願います。

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