8/6 「あなただけの”性”」  三浦 遙   聖句:創1:26-31

 キリスト教は、世界で一番多く信じられている宗教と言われます。それだけ、素晴らしい教えを示しているというふうに思われるかもしれませんが、長い歴史の中では最も多くの人を虐げてきた宗教であることも忘れてはなりません。有名なもので言えば魔女狩りや十字軍、ホロコーストなど、キリスト教の教えを基に、多くの人を裁いてきた負の歴史があります。本来であれば、キリスト教の教えにおいてそのようなことは起こり得ないはずなのに、人々は他者を否定し、虐げていくのです。全ての人が平和に暮らすことは誰もが願うこと。それは、他者を虐げ、自分の身の回りだけが幸せになることではありません。到底不可能にも思われるかもしれませんが、理想論であってもそれが教会やキリスト者の目標であり願いです。

 その中で、注目したいのは“性”について。今、様々な“性”のあり方が示されています。LGBTQという名称がありますが、男女という二つの姓別というだけでなく、「身体の性」「心の性」「好きになる性」「表現の性」など、色々な捉え方があるのです。それは、日によって微妙に変化し、固定されるものではないし、誰かに決められるものではないのです。しかし、聖書の中には、神が男女として人を造られたとあります。この言葉が多くの人を傷つけてきたし、今でも、様々な“性”のあり方を否定する人が多くいます。しかし、そうではなく、神様が創られたものは、全て良いものである。聖書の時代ではなく、今のわたし達も神様によって創られ、生かされている時、それは聖書の文言に当てはまらないように見えても、そのメッセージは、「あなたを愛してくださる神様」という平和のための言葉が示されていることを忘れてはなりません。

 今、わたし達の身の回りにも、自分自身を否定されることを恐れ、自分の本心を隠しながら生きている人々がおられる。わたし達がそのように隠れて生きるようにと追いやってしまっている事を思い起こしつつ、神様があなただけの“性”や、あなただけの“命“を大切に思い、愛してくださっていることを覚えて、受け入れあっていく歩みを成していくことができればと願います。教会が「受け入れる場所」として歩むことを望む時、それ以上に受け入れられていくために、目に見えるもので判断し、押し付けていくのではなくて、その人の心と命に向き合い、認め合っていくことができますように。何より、今まさに様々な差別を受け、苦しんでいる人々が解放され、その人だけの命を曝け出して、胸を張って歩む平和な世界が速やかに実現しますようにと祈ります。

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