7/23 「イエスを心に」  三浦 遙   聖句:フィリピ4:2-9


  今回の聖句はフィリピの信徒への手紙の最後の部分です。様々な手紙を書いた使徒パウロ。それぞれ状況や課題の違う教会に向けて、各々に合わせて言葉を記していますが、どの手紙においても中心となるのは、宣教にて最も重要で、伝えたいイエス・キリストについてでした。今回の箇所でもパウロは「主において喜びなさい。」と伝えています。様々な課題がある中でも、悲嘆に暮れるのではなく、もっと奥深くにある、主における豊かな希望、主における喜びを常に思い起こしていきなさいとパウロは語ります。

 この喜びという言葉は、他の手紙においても多く記されていました。それは、励ましという意味も大きくありますが、何よりも「慰め」が込められたものです。また、今回の手紙においては「平和」という言葉も重要なものとして用いられています。フィリピの信徒への手紙は2回に分けられて記されていますが、それらの手紙を結ぶのがこの「平和」です。主における喜びが、この主による平和の中で示されるものだからです。主の平和のために、常に喜び、感謝し、祈りを捧げて行くこと。曖昧な言葉にも聞こえますが、パウロが伝えたかったことがこれらの言葉に込められているのです。

 何より注目したいのは、「同じ思いを抱く」という言葉。鳳教会の年間聖句にもあるように、「主において同じ思いを抱きなさい。」とパウロは語ります。これは、フィリピの教会が対立によって乱されている中で語られたものです。異なる意見、異なる解釈は教会という共同体と、迫害という過酷な状況の中で、度々対立し、危機に面していました。しかし、それらの意見や解釈のどちらかを「間違っている」と否定するのではなく、「同じ思いを抱きなさい。」とパウロは伝えている。それは、言い換えれば「イエスを心に抱いて歩む」ということではないかと思います。

 わたし達の教会や、日本の教会も、様々な意見や解釈によって対立してしまう時があります。特に日本の教会の現状で悲しいのは、その対立によって交わりが一切失われてしまっていることです。フィリピの教会がそうであったように、対立してしまうことはどの時代も仕方がないことですが、そんな教会に向けて示されたパウロの言葉にあるように、主において喜び、感謝し、祈り、主による平和を求めて行くことで、同じ思いを抱いて歩んでいくことができればと願います。どのような時であっても、過酷な状況の今だからこそ、いつも愛に溢れるイエスを心に抱きつつ、これからも礼拝や祈りを通して信仰の道を歩んでいくことができればと願います。

0コメント

  • 1000 / 1000