7/9 「喜びより慰めを」 三浦 遙 聖句:使徒20:7-12
わたし達は地上での別れを経験することがありますし、それはいつか必ず訪れるものです。その別れはとても悲しく、時に受け入れ難いものです。しかし、聖書の物語ではその悲しみを拭い去るように「死者の復活」について描かれる箇所があります。
本日の箇所でも使徒パウロが青年を生き返らせている様子が示されていました。トロアスとう町で滞在をしていたパウロは、出発する前日の夜、会堂にて福音を述べ伝えていました。しかし、その中でパウロの長い話に眠気を催した青年が、3階の窓から落ちて死んでしまったのです。人々は騒ぎ、悲しむ中、パウロは「まだ生きている」といい、彼を抱きかかえ、パンを割いて食べつつ、夜明けまで話し続けたのでした。すると、その青年は息を吹き返し、連れられて帰り、パウロ達はその町を出発するのでした。
これは、実際に亡くなっていたのかなど、様々な疑問が浮かぶ不思議な物語ですが、もう一人の使徒の代表であるペトロも9章にて、タビタという女性を生き返らせる物語を持っています。今回の物語も、ペトロの物語も、福音書に描かれるイエスの奇跡の物語にとても良く似ています。友人のラザロを生き返らせる物語や、ヤイロの娘を起き上がらせる物語などにおいて、周囲の人々が嘆き悲しむ中、イエスは「まだ死んでいない。」と語り、そのまま死者を起き上がらせるのです。また旧約聖書では、エリヤとエリシャという預言者が死者を生き返らせる物語があります。使徒言行録の中心人物であるペトロとパウロは、まさにイエスによって押し出され、旧約のエリヤとエリシャのように、偉大な使命を担っているということが、今回の箇所においても示されているのです。
特に、パウロが伝えた「騒ぐな、まだ生きている。」という言葉。これは直訳すると「命はまだ彼の中にある」という意味の言葉です。命を司る神により、目には見えなくとも、その命はしっかりと守られているということが示されているのです。何より、この出来事を経た人々は、大いに喜ぶ以上に、慰めされたと示されています。喜びは僅かな時かもしれませんが、慰めは長くその人の心に命のようにあり続け、希望を与えてくれるものです。
わたし達も、喜ばしいことも大いに嬉しいものですが、それだけではなく、長く希望を示してくれる「慰め」が与えられるように、また「慰め」を示していくことができますようにと祈ります。新たに、不安を感じさせる最近であっても、常に喜び合い、また慰め合って、主によって守られる命を感謝しつつ、歩んでいくことができますようにと祈ります。
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