6/11「神の子ども達」 三浦遙 聖句:マタイ6:5-15
子どもと一緒に礼拝を守ることが少なくなったここ数年。鳳教会では毎月第三土曜日に子どもの教会を行い、共に礼拝を守っていますが、主日礼拝への子どもの参加はめっきり減ったと言えます。どのようにすれば子どもが来るのか、どうすれば来やすくなるのかという事も考えますが、何より子ども達に何を伝えたいのかという事を第一に考えていかなければなりません。大切なことは多くありますが、特に伝えたいのは「祈り」についてです。
キリスト者の生活の中で最も日常的な宗教行為と言える「祈り」はわたし達の信仰生活を支える大切かつ最も身近なものと言えるかもしれません。今回の聖書の箇所でイエスが弟子たちに祈りについて教えを語っています。その中では「祈りは神とその人の一対一のものである」という事と「長い祈りが良いわけでも、自分本位の祈りが良いわけでもない」という事が示されていました。
今のキリスト教会における祈りも大きく二つに分けられます。個人で祈るものと、共に祈りを合わせるものです。今回の箇所でイエスが伝えている祈りは現在も「主の祈り」として共に祈る祈りとして大切に用いられているものです。共に祈る祈りは、長い歴史の中で祈られ続けてきたものでもありますので、礼拝や信仰が大切に守られてきたこと、祈りを通してそれらの信仰を受け継いでいくという想いも込められています。そして、個人の祈りは神様と自分との一対一の祈りであるとイエスは言います。祈り自体が、元々幕屋に入り、一人になった時にするものであったからとも言われますが、一人一人に向き合う神として、イエスや神が示されています。何よりこの個人の祈りの中では、自分と繋がる人を覚えて祈ること、誰かのために執り成しの祈りをすることがあります。傍にいなくとも、一方的であっても、誰かのために祈ることが出来るし、わたし達はそのような多くの人に祈られて、守られて日々の生活を歩んでいるのです。
今、子どもたちに伝えたいこと。それは、まさに子どもたち一人一人が神の子ども達であり、愛され大切に祈られているという事を伝えていきたい。一人孤独を感じる時、劣等感を感じる時、自分自身を疑ってしまう時、鳳教会の人たちに祈られている、他の誰かに大切に思われていると思ってもらえれば、その歩みを支えることが出来るのではないか。何より神様があなた方を守り導いてくださると感じることが出来ればと願います。そのために、祈ること、神様に支えられ守られて生きる信仰の姿を子ども達や地域の人々に示し、伝えていくことが出来ればと願います。どのような時でも、わたし達は祈りによって支え合っていくことが出来る。そのことを覚えて。
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