6/4 「イエスの証人」  三浦 遙   聖句:使徒2:22-36 

  ペンテコステの出来事を通して教会の始まりを想い起こし、気持ちを新たにされました。今回の箇所では、聖霊を受けた弟子たちの内、代表であるペトロが群衆にイエスの証しをしている様子が描かれています。ペトロは冒頭で「ナザレの人イエスこそが神から遣わされた方です。」と伝えています。大切なことですし、メインテーマともいえる言葉ですが、ペトロがこの言葉を群衆に伝えていくという事自体が恵みに満ちたものであるという事も思い起こしていきたいと思います。イエスの弟子として付き従い、時にはイエスの生き様や受難予告について否定的になり、受難の際には三度も「イエスを知らない」と言ってしまったペトロ。信じると言いつつ、何度も裏切ってしまったペトロが今ここで、聖霊によって押し出され、「イエスこそ神から遣わされた方」と伝えているのです。

 また今回の箇所ではダビデ王の名前が引用されています。というのも、救い主を求めるイスラエル民族の歴史の中で、もっともそれに近かったのはこのダビデでした。神に選ばれ、信仰に厚く、王として人々を神の御心に導こうとした。まさに偉大な王として語られ続けていましたが、そんなダビデも罪を犯し、御心に適うことはありませんでした。しかし、後世の人々は「救い主=ダビデより偉大な王」というイメージがついてしまうのでした。

 ペトロがダビデとダビデの言葉を引用したのは群衆たちが信じるダビデをも超えて、神の御心に適う存在としてイエスを証しする為でした。ダビデは死に、偉大な王であったが、イエスはその死を越えてなお救い主としてわたし達を導いてくださる。長年祈り求めてきたことがイエスを通して実現したことを伝えていくのでした。後の文章で、このペトロの証しを聞き、その日に3000人の人が洗礼を受けたとあります。このペトロの言葉が多くの人の心を打ち、信仰へと導いたのでした。

 わたしたちにとってダビデのことはさほど知りませんし、救い主と言えばイエスという想いがあります。しかし、当時の人々の祈りと願いにしっかりと向き合ったペトロの姿は倣っていきたいと願うものです。ペトロのように、たとえイエスを信じ切れず、時に遠ざけてしまうことがあっても、今の人々の願いや祈りに寄り添い、今のわたし達がイエスの証人として、「イエスこそが神から遣わされた方、救い主です」と伝えていくことが出来ればと願います。 

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