4/30 「命のパンを裂き」  三浦 遙   聖句:ヨハネ6:34-40

  神から与えられる様々なしるし。それは旧約聖書の時代から目に見える物から幻や夢のような幻想的なものまで様々です。その中で象徴的なものが「パン(マンナ)」でした。イエスは度々、パンをテーマに人々に神の愛についてを語っていました。「神のパンは天から降ってきて、世に命を与える。」というイエスの言葉に対し群衆は「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と願い出ていました。神の愛をいつでも承りたいと願うのは自然なことですが、その願いにイエスは「わたしが命のパンである」と応えていました。「わたしのもとに来るものは決して飢えることが無く、わたしを信じる者は決して渇くことが無い。」とイエスはいます。

 このお話は、旧約聖書のモーセの物語を暗喩したものと言われます。旧約聖書の出エジプト記の物語で、エジプトから解放されたイスラエル民族60万人を導いたモーセでしたが、モーセの力だけでは群衆をまとめることは出来ませんでした。旅の行く先や、道中の衣食住、様々な不安や不満に対して、モーセは神の助けを経て乗り越えていきました。その代表となるのが空か降ってきた「マンナ」でした。この「マンナ」は神の恵みを象徴するものです。それは、「その日の内に十分なもの」であり、日毎の糧としての恵みです。言い換えれば、一回きりの恵みではなく、継続的に関わり、与えてくださる恵みであるという事です。イエスは、その神からの恵み「マンナ」と自分が同じであると言います。モーセの時代に神がそうしたように、信じる者に絶えることの無い、しかしその人のその日の内に十分な恵みを、死を越えて永遠に与えてくださるとイエスは語ります。そして、「わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」と示しています。しかし、そのパンは裂かれることで人々に分けられていくという過酷さをはらんでいることも示されるのでした。

 当時の人々は、思っていたものではなかったことに不信感を覚えていきます。しかし、この言葉によって今のわたし達はまさに豊かな恵みが与えられている。主から与えられる様々なしるし。イエスという命のパンを分け与えられたわたし達には、目に見えて多くなくとも、わたし達に十分な、そして絶えることない恵みが示されていることを覚えて、喜びと希望に満たされて歩むことが出来る。そのことを日々思い起こし、感謝して歩むことが出来ますように祈ります。 

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