4/16 「声を掛けてみれば」  三浦 遙   聖句:ルカ24:13-35

  復活された主イエスは、その後弟子たちの前に姿を現していきます。しかし、復活されたイエスをすぐに信じられる人は多くありませんでした。今回の箇所では、エマオという町に向かっている二人の弟子の前にイエスが姿を現します。「何の話をしているのか」と問うイエスに対して、イエスであると知らない二人はイエスの復活を信じがたく思っていると伝えると、「信じられない者たちよ」と嘆き、聖書全体とイエスについて説明されていきます。その夕方、尚も先に進まれるイエスを引き留め、共に食事をしたとき、二人の弟子はこの人物がイエスであると気が付くのでした。

 注目したいのは、声を掛けるという事です。イエスは二人の弟子に声を掛ける。弟子たちも先に行こうとするイエスに声を掛けます。何より、イエスは神への賛美のために祈りを捧げ、神に声を掛けていく。しかし、二人の弟子がイエスであると気が付くのは、この祈りとパンを裂いたときであったのでした。声を掛けずに先に歩んでいくことも出来たはずなのに、イエスは弟子たちに声を掛け、弟子たちの声掛けに応えていきます。それは、彼らがエルサレムから去ろうとしていたから、もっと言えば、主の招きから遠ざかろうとしていたからでした。信じない者ではなく、信じる者とされるため、イエスはこの2人の弟子たちに声を掛けていく。そして、神への賛美と分かち合いを通して、自身を示されていくのです。

 わたし達は、そのように遠ざかる人々に声を掛けることが出来るのかと問われているように思います。復活を信じない人々、遠ざかる人々であっても忍耐強く声を掛け続けてくださるイエスに倣って、わたし達も声高らかに主を賛美しながら歩んでいきたいと願います。 

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