4/9 「何故下を向くのか」  三浦 遙   聖句:ルカ24:1-12

  イースターおめでとうございます。

 このイースターはわたし達の罪を肩代わりし、十字架に掛けられて死んだ主イエスが墓から復活された喜びを祝う日とされています。本日聖書の箇所において、その復活物語が描かれていました。冒頭にマグダラのマリア達が「週の初めの日の明け方早く、準備しておいた香料をもって墓に行った」と記されています。イエスが十字架に掛けられた時、その最後の時までそれらを見つめ、付き従っていた女性たちが、イエスの埋葬の準備を既にしており、安息日(土曜)が終わった後、すぐに墓に駆け付けたことが分かります。すると、イエスの墓をふさいでいた大きな石が脇へ転がされており、イエスの遺体が無くなっていたのでした。途方に暮れる女性たちに二人の人物が主の復活を伝えます。その時、主の天使たちは「ガリラヤでお話になったことを思い出しなさい」と語り掛けます。イエスが生前、弟子たちに伝えていた復活の言葉です。このことを急いで他の弟子たちに伝えるのですが、ここでの反応はそれぞれです。ほとんどの人がこのマリア達の言葉を「たわ言」として信じなかったのに対して、ペトロだけは墓へ走っていき、イエスの遺体が無いことに驚きながら家路についたのでした。

 今回の箇所では、復活のイエスは現れません。既にガリラヤに向かわれたと言われています。しかし、注目したいのはイエスの復活を最初に知らされたのが、女性たちであったという事と、それらを信じたのも女性たちであったという事です。それは、十字架に掛けられ墓に納められる時まで、付き従っていた人々であったからかと思います。実際に、復活の主に出会ったわけではない。しかし、女性たちは主の天使の言葉を通して、主の言葉、復活の言葉を思い起こすことで、地に顔を伏せ続けるのではなく、良い知らせを告げ知らせるものへと変えられていくのです。

 確かに、良い知らせを聞いた人々の中にはその言葉を信じず、受けいられない人も多くいるかもしれません。しかし、わたし達も様々な苦難や悲しみによって地に顔を伏せ、下を向くばかりではなく主によって告げ知らされる良い知らせを誰かに伝えていくことが出来ればと願います。同じように地に顔を伏せ、打ちひしがれる人々に喜びを分かち合い、主の言葉によって力を得、共に生き、共に歩んでいくために。その道の先に、主が既に歩みだしている。その信仰と喜びの道を、これからも前と天とを見上げながら歩んでいくことが出来ますように。 

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