3/22 「受難予告」 三浦 遙牧師 聖句:マルコ10:32-45
イエスは様々な場所で宣教し、教えや奇跡を行う中で、群衆からの注目を集めていました。前の箇所では、イエスに従いたいと願った青年に対し、持てるものを全て施すよう示され、「先にいる者が後になり、後の者が先になる」という言葉が語られていました。
そしてイエス一行はエルサレムへと向かいます。過越祭のためです。この祭りは、神がモーセを通じてイスラエルをエジプトから救い出し、約束の地を与えてくださったことを記念するユダヤ人にとって非常に重要なものです。イエスが先頭に立って進まれる姿を見て、弟子たちは驚き、恐れました。それはイエスが何度も自らの死を予告しているにもかかわらず、その歩みに一切の迷いがなかったからでしょう。
イエスは12弟子を呼び寄せ、より詳しく受難を告げます。「エルサレムで祭司長や律法学者に引き渡され、死刑宣告を受け、異邦人によって苦しめられ殺されるが、三日後に復活する」と。神の子が、神の都エルサレムで、ローマ帝国の手によって死を迎えることが明かされたのです。
その直後、ヤコブとヨハネが「栄光をお受けになるとき、左右の座に座らせてください」と願い出ます。信仰の表明とも取れますが、権力欲の表れでもあります。イエスは「わたしが飲む杯を飲めるか」と苦しみを共にする覚悟を問い、座の配置は神が定めるものだと諭されました。他の弟子たちはこれを聞いて二人に腹を立てましたが、それもまた抜け駆けへの怒りであり、弟子たちがイエスの言葉をまだ理解していないことを示しています。
イエスは一同を呼び寄せ、「偉くなりたい者は皆に仕える者になりなさい」と教えられました。これはマルコ福音書が最も伝えたいイエスの言葉とも言われます。神の国は地上の価値観とは全く異なり、誰も排除されず、苦しみが喜びと希望に変えられる世界です。
受難節のこの時、私たちも自らの持ち物や立場を失うことを恐れていないか、本当に神の平和を求めているかを問われています。神の御心に従い、その栄光と平和の内に新しい一週間を歩んでいきたいと願います。
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