10/19 「日が登る」 三浦 遙 聖句:黙示7:9-17
ヨハネ黙示録7章には、あらゆる国民、種族、民族、言語の民が、白い衣を着て神の御座の前に立ち、「救いは神と小羊のもの」と叫ぶ姿が描かれています。彼らは地上で迫害を受け、殉教した人々です。その衣はキリストの血によって洗われており、彼らは勝利と清めを受けた者たちです。この描写は、苦しみを超えてなお信仰を守り抜いた者たちが、天の国で勝利と平和、そして信仰の自由を与えられていることを表しています。地上では声をあげることすらできなかった者たちが、天においては大声で賛美を叫び、神に仕え、喜びに満ちて生きている。彼らはもはや飢えることも渇くこともなく、どのような苦しみも彼らを襲うことはありません。
現代を生きる私たちは、殉教こそ稀かもしれませんが、信仰を自由に語ることが難しく感じられる社会に生きています。無関心や偏見、あるいは目に見えない圧力の中で、信仰を守り通すことは容易ではありません。ためらい、黙ってしまう場面も多くあります。それだけではなく、差別や圧政によって息が出来ないほどに、声を押し殺されている人々が日本にも、また世界中におられる。そんな厳しい現実だからこそ、神の語られる希望が見出されていくのです。
日本の四季は太陽の日照時間によって変化していきます。日の長い夏と、短い冬。しかし、最も日照時間の短い冬至の1日を超えると、徐々に日照時間は伸び、少しずつ世に光が増していくのです。暗さや寒さの中で、神様が遠くにいるように感じてしまうことがあるかもしれませんが、今回の箇所に登場した天国に市民権を持つ者とは、苦しみや葛藤の中でも主に従い、信仰を持ち続ける者達の姿でした。神はそのような者を決して忘れず、恵みと慰めをもって迎えてくださいます。たとえ今は暗く、そして涙の中にあっても、神のまなざしは決して離れることなく、いつかその涙が喜びに変えられる。長い夜であっても、太陽は必ず私たちの上に登り、暖かく照らしてくれる。神様の愛も同じだと思わされます。私たちもその群れに加えられていることを信じ、見えるものにとらわれず、神の約束を信じて歩み続けたいものです。天の国は、力ある者のためでなく、涙を流した者、信仰を捨てなかった者のために備えられていると信じて歩んでいくことが出来ればと願います。
0コメント