10/6 「前進」 三浦遙   聖句:フィリピ1:12-30

 信仰は人を支えると私は思います。苦しい時、悩める時に指針を示し、勇気と希望を与えてくれるからです。しかし、なかなかに苦しいことや悲しいことを受け入れていくことは難しいものです。なぜ、このようなことが起きるのかと疑念を抱き、神から見放されたような絶望感と孤独感を感じてしまう時があるかもしれません。ですがパウロは、そのような苦難の時に「かえって福音の前進に役立った」と喜びを示すのでした。使徒パウロは宣教の只中で、度々ローマ帝国によって捕らえられ、牢獄に入れられていました。今回の箇所も監禁されている時期に書かれたものです。フィリピの教会はユダヤ人よりも異邦人の多い教会でした。教会にとってパウロの存在は大きかったわけですが、そんなパウロが投獄された事実は教会に大きな不安を与えたのです。いつの日か自分達も同じように苦しむかもしれない。キリストを信じことで与えられた苦しみに疑念を抱いていたのです。

 しかしそんなフィリピの人々にパウロはますます勇敢に御言葉を語り、苦しむことも恵みであると示すのでした。それはパウロにとって救いの実現であり、キリストの御業を体現するものです。終わりの日に「後の者が先になる」ように、「悲しむ人々は幸いである。その人々は慰められる」ように、今の苦しみもキリストの救いによって良いものへと変えられていくとパウロは確信しているのです。

 それは、福音書のラザロの復活において力強く示されていました。ラザロの死に対し、「なぜここにいてくださらなかったのか」と問うマリア達。そして、その悲しみに共感し、共に涙を流すイエス。しかしその悲しみの先で、死を超えて神の恵みが示されることをラザロの復活を通して示されたのです。復活したラザロ、そして苦難の中であっても希望を持って語りかけるパウロの姿に、多くの人々がキリストにその身を委ねていこうという信仰を抱いたのでした。

 わたし達も様々な苦しみが与えられ、悩むことの多い日々ですが、それらがわたし達に「かえって福音の前進に役立った」と思える日が来るよう、希望を持って歩んでいくことができますように。言葉に出来ない思いを賛美に乗せ、祈りに変えて、わたし達を支えてくださる神様とその信仰をこれからも大切にしていきたいと願います。

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