9/15 「超える愛」 三浦 遙 聖句:エフェ3:14-21
人権問題を学ぶ中で、やはりこの社会はまだまだ隔たりの多いものであると実感いたします。しかし、聖書の示すキリストの愛は「広く、長く、高く、深いもの」です。エフェソの手紙の著者は自身の働きがあるのはキリストに結ばれているからこそであると示していました。そして手紙を通して教会の人々の信仰が強められることを祈っています。興味深いのは神の霊によって「あなたがたの内なる人」が強められるという部分です。他のパウロの手紙では、度々この「内なる人」という表現がなされますが、それには神の戒めを守る事や、信じる事、生まれ変わることなど、神によって与えられるもの全てが人間の内部にある霊的な体に影響を与えるという思想があったからだと言われています。また、「あなたがたの心にキリストを住まわせ、愛が根差し」と示されているように、人間と神との関係は、その人の外見や身に着けるものに一切関係なく、その人の内なる人との関りであると示しているのです。加えて著者はキリストの愛を広さ、長さ、高さ、深さと四つの尺度で表現しています。
しかし、注目したいのはそれらの愛が「人間の知識をはるかに超える」と示されていることです。キリストの愛は人間には表現し難いものであるということですが、しかしそんな愛をパウロは語り示すことを諦めませんでした。もっと言えば、表現できなくとも語り続けていくことこそが自身の使命であると感じていただろうということです。キリストが心の内に住むことを通してパウロ自身が根底から変えられた経験があるからこそ「キリストの愛」を確信していたのです。エフェソの人々にも、ふさわしくなることや立派になること以上に、「心の内にキリストを住まわせる」ことをパウロは願っていました。そのことを通して、たとえ人間に理解できずとも、表現できなくとも、キリストの愛がより多くの人々に、隔たりなく示されていくことを願っていくのでした。
今の社会には隔たりや差別など人間の弱さがありますが、キリストの愛は受け入れ合い、時間をかけて、広く、長く、高く、深く示されていきます。どの様な表現であっても、互いのために生きることが出来ればと願います。「受け入れる」「受け入れられる」関係だけでなく、共に生きる。共に歩む、そのように、それぞれが異なった人間であることを知りつつ、苦しみを共有し、キリストの広く、長く、高く、深い愛を分かち合っていくことで愛のある交わりが成されるのです。何より、そのキリストの愛を、キリスト自身をわたし達の心に住まわせ、わたし達の歩みを通して、様々な隔たりを超えていく愛を示していくことが出来ますように。
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