1/7 「足元から竜が登る」  三浦 遙   聖句:ヨハネ1:29-34

 洗礼者ヨハネはイエス・キリストの前触れとして使命を与えられた人物です。他の福音書のヨハネの言葉を借りれば「道を整えるために来た」のでした。今回の箇所ではそのヨハネはついにイエスと出会い、イエスを讃える言葉が記されています。

 そもそもこのヨハネ福音書は、他のマルコ福音書やマタイ・ルカ福音書の後に記されたもので、その編纂時期もマルコ福音書から30年ほど後であるとされています。感覚としては、30年前の人気作品のリメイクに近いものですので、物語として辻褄は合わなくとも、役割を重要視して描かれていきます。この洗礼者ヨハネはイエスを「世の罪を取り除く神の小羊」と表していました。イエスがこれから十字架にかけられ、まさに世の人々の罪を肩代わりする捧げ物の小羊として歩んでいくことが告げられています。イエスの宣教の始まりは、この洗礼者ヨハネの宣言と最後の言葉にあるように「この方こそ神の子である」という信仰告白から始まっていくのです。

 注目したいのは洗礼者ヨハネの「わたしはこの方を知らなかった」という言葉。洗礼者ヨハネはルカ福音書によればイエスの親戚として描かれますが、今回はイエスを知らない立場で、尚且つ神のみ言葉を信じ「救い主を待ち望む1人」として描かれています。何より、この洗礼者ヨハネにとってもイエスとの出会いは驚きと喜びに満ちたものであるということです。

 あまり有名ではない諺に「足元から竜が登る」というものがあります。身近なところから意外な事が起こることを意味する言葉です。新年早々、地震や事故など思いがけない苦難が示されました。様々な苦しみと悲しみの上に主の慰めを祈りつつ、このような悲しい出来事は突然に与えられるものです。叶うならこのヨハネのような喜ばしい出来事をと思いますが、なかなかそうはいきません。しかし、この足元から竜が登るという諺には「突然に物事が動き出す」という意味もあるそうです。思いがけない災難や出会いであっても、そこからまた新たに始まっていくものがある。ヨハネの驚きと喜びからイエスの宣教が始まっていくように、2024年の新しい一年が思いがけない事から始まっていく中でも、また新たに主の御言葉と御手の働きに守られ、励まされながら、一歩を歩み出していく事ができますようにと祈ります。鳳教会として、これからも主に従って、祈りと賛美をもって主の道を歩んでいく事ができますように。

0コメント

  • 1000 / 1000