8/20 「話すのに遅く」  三浦 遙   聖句:ヤコブ1:19-27

 人間誰しも、その人の人柄やキャラクターがあります。よく笑う人やよく話す人もいれば、感情が顔に出ない人や寡黙な人もいます。それだけなら良いのですが、人と関わる時に「話を聞けない」「発言が聞き取れない」「すぐに不機嫌になる」ことで関係につまずくというのはよくあることです。わたしもよく早口で声が小さいからと注意を受けたことがありますし、礼拝のお話も早口で聞き取れない時があるかも知れません。

 今回の聖書の箇所で著者は「だれでも聞くのに早く、話すのに遅く、怒るのに遅いようにしなさい」と注意を促していました。よくある標語のような言葉ですが、それらは人間関係のスキルとしてではなく、神の御言葉に応えるための心得であるというのです。この手紙はイエスの兄弟であるヤコブによって記されたとされ、ユダヤ人をはじめとするキリスト者に向けて書かれたものです。旧約の教えとイエスの教えを結びつけながらまとめた知恵の書とも呼ばれています。今回の箇所はその教えの導入であり、主の御言葉を受け入れることに繋がる教えが示されています。特に「人の怒りは神の義を実現しない」という言葉から、「怒り」という感情の難しさを語ります。わたし達が怒る時とはどのような時でしょうか。馬鹿にされたとか直接的なものはもちろんですが、他人の言葉が皮肉や嫌味に聞こえることもあります。誰かのために怒ることは良いことのように思われますが、「怒ること」の多くは人の価値観の中で軽んじられたこと、見下されたと感じることに繋がるものです。「怒ること=神の御心に沿っていない」とヤコブは考えています。だからこそ、悪を素直に捨て去り、主の言葉を受け入れなさいと伝えるのです。

 また「聞くのに早く、話すのに遅く、怒るのにも遅く」という言葉は、主のみ言葉を実践していく事としても示されています。ただ聞くだけではなく、伝えること、向き合う時に主の言葉を思い起こし、行なっていくことの大切さをこれでもかと繰り返しながら伝えています。わたし達も日常で怒りを覚えることが多くありますが、なぜそこまで「怒り」という感情が湧き上がってくるのかの原因を見つめ直すことも良いことです。自分自身を否定されている、低く見られることを恐れ、自分より不幸な人がいることで安心するのではなく、主の御言葉を通して示される平和のように、誰かのために怒り、話を聞き、伝わるように言葉をかけていく。ヤコブが完璧な律法と評すイエス・キリストの教えとその生涯を見つめ、神の御前に清く汚れのない信心を持って歩んでいくことができればと願います。

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